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深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

チョコレートに関する散文

 

私はチョコレートが好きだ。

コンビニで必要でもないのに、ついつい買ってしまう。
甘ったるいミルクチョコレートは疲れたときに休息がわりで食べるのに最高だし、成人してからはビターチョコレートを赤ワインと伴に嗜むことを覚えた。
バレンタインデー前のデパ地下のチョコレート売り場は戦場だけれど、ドキドキする。好きな人にチョコレートを渡すなんて、言ってしまえば日本企業の陰謀だけれど、女の子が想いを託すものがチョコレートだからこそ、夢があるのだと思う。

 

チョコレートとは、不思議な食べ物だと思う。
児童文化に登場する「チョコレート」は、いつだって子どもたちの憧れや自由の表象である。それは、子どもでも安易に手に入れることのできる嗜好品だからであろうか。

ーそう、チョコレートは嗜好品なのである。ドラッグと同じように常習性がある、なんていう論文も出ているらしい。

 

チョコレートの原料のカカオは、アフリカ・中南米・東南アジアといった高温多湿の気候で育つ。高温だとチョコレートは溶けてしまうから、カカオの生産者はチョコレートの味を知らないのだと、何かで読んだ記憶がある。生産地でつくることのできないものを、支配者が手に入れる。チョコレートをつくる背景は、資本主義と植民地主義に塗れているのだ。

これは、チョコレートのもつ、自由と憧れのイメージと乖離しているように思える。

 

だけれど、私は今日もチョコレートをひとかけら、チョコレートの矛盾と世の中の矛盾を口の中で溶かすようにして食べるのだ。チョコレートの常習性に負けた、と言い訳をしながら。

「グレイト・ギャツビー」観劇してきました。

内博貴主演「グレイト・ギャツビー」京都公演を観劇しました。

 

今回は7/15、7/16マチソワ公演の3回それぞれを左右には上手・センターブロック・下手、前後には一階席2列目・二階席・一階席の中央と敢えて多くの角度や距離感で観劇できるかを重視して座席を選びました。


予習をせずに観劇したので、ミュージカル「グレイト・ギャツビー」の知識のみで勝手に語っていきます。(ディカプリオ版の予告は見ました。今回はこの映画を中心に再構成したようなので、またレンタルしにいきたいと思います。)

 

 

 

以下、ネタバレ有り感想文

 

・懐かしさ
そこはかとなく漂うオダサクの雰囲気。

「ザ・オダサク」は内博貴主演、再演の際には今回と同様にヒロインを愛原実花が演じ、コング桑田氏も助演していた。

何より、演出の錦織さんと音楽の岸田さん、スタッフが同じメンバーなのである。

舞台を戦時〜戦後の日本から1922年の夏のニューヨークに移し、「グレイト・ギャツビー」は上演された。

ここで私が感じたのは錦織演出独特の小笑いを挿入するところ。(演劇ファンとしては好みが分かれるところではある)*1

そして、岸田さんの音楽で、主要な役者にテーマソングを持たせるところ、それを変化させつつリプライズさせるところである。

その懐かしさが、このグレイト・ギャツビーチーム全体のアットホーム感を築いていたようにも思う。
(「運命のルーレット」とてもオダサクっぽかったと思ったのは私だけでしょうか…?笑)

 

1920年代のアメリカ
「グレイト・ギャツビー」は単に偽りの地位で成金になったギャツビーが没落する話ではない。その背景には、アメリカが抱える人種差別、貧富の差、歪んだ社会構成が存在し、それらが物語を支配していくのだ。
これは物語の根幹を成す部分であると私は思うのだが、これがとても丁寧に描写されていた。それは、物語序盤から徐々に種を蒔き、クライマックスにそれが花となるような感覚になりました。


例えば、
*ニックがベイカーに初対面したシーン、ニックから実家の仕事を聞かれて黙り、話をそらす。ベイカーはやけにニックに積極的だった。(これらはベイカーのhungryに帰結する。)


*トムは非常に白人主義であり、黒人や労働者階級といった人を差別し卑下する。「ホワイトアメリカ」の後にベイカーにボールを持ってくるのが黒人。(これは後から演出で加わったものらしい。byトークショー) トムは差別意識が強い分、ギャツビーが東の生まれだと気づく。

 

このような意識下での動きが、後の歌に繋がり、見る度に新しい発見を生み、興味深いところでありました。

 

・疑問点

 

ギャツビーは悪人だったのか?
座長のファンなので、主にギャツビーを中心に見ていたのですが、そうなると心情変化が気になります。
謎に包まれたギャツビーはやがてトムに化けの皮を剥がされ、東の農民生まれだと言われる。成り上がっても、結局は元からの金持ちに見下される。これはある種の絶望を意味しますよね。
私が気になったのは、「お金はお金。汚く稼いだお金を綺麗に使って何が悪い!」というギャツビーの台詞。実際にギャツビーは稼いだお金で実家に仕送りをしていたのだ。
ギャツビーは異常なまでにデイジーに執着していたが、デイジーがギャツビーを振ったのにも関わらず、轢き逃げを起こしたデイジーを庇いデイジーを愛する姿には同情、憐れみという言葉が当てはまるでしょう。
ギャツビーのやってきたことは悪だったのかもしれないが、結局は彼は善人だったのではないか? SHOCKでいうウチにも似た善人の歪みを覚えました。

 

 

・素敵なキャストさん

最初から最後まで出ずっぱり。そして出番だけでなく歌も台詞も多い!この人無しでは今回の舞台は成し得なかったでしょう。この物語における「良心」のニックを爽やかに演じられていました。歌で語るシーンの声が聞き取りやすく安定していて、ニックのお陰で物語を掴むことができました。

 

オダサクぶりの実花さん。可愛らしい方だなぁと思って毎回見ていました。今回、強いオンナが沢山いる中で、翻弄される女の子の弱さみたいなものも感じました。

ミュージカル初挑戦だそうで。ダンディな演技と低音ボイス、よかったです。トムは当時のアメリカの正義を体現する人物だったのかもなぁ、と思ったりしています。内くんととっつーと高田くんを焼肉ご馳走していただいたそうでうちの子達がお世話になりました…(誰目線w)

 

  • 大湖せしるさん

ベイカーはごめんね青春!の蜂矢先生とホラン千秋を足して2で割った感じだなぁってずっと思ってました(どうでもいい)
せしるさんは喉の調子が悪かったようで、京都公演で始めて「hungry」を歌われたそうで。以前の演出は分かりませんが、ベイカーの意外な一面をあの場面で魅せるのか!って感じで面白かったです。

 

  • 高田翔くん

志田ちゃん。今回はまさかウエディングケーキに突っ込まないよね?*2とか思っててすみませんでした。労働者階級のミカエルのジャジーなソロがとても良い歌声でした。サックスは吹きまねなのだろうか。

 

  • コングさん

マスコットキャラクターですよね完全にw
そして最後のまさかの。存在感が凄いです。一気に引き込まれる演技をされる方です。

 

めっっちゃ歌がうまい!!声量がすごくて圧倒されました。

 

  • 木村花代さん

トムの愛人のマートルは裕福な暮らしに夢を見ていた。成り上がることを生き甲斐にしていた。しかしギャツビーは成り上がってもまた、貧しい血が流れているとトムに卑下される。救いようがない…。マートルの存在がこの物語を一層悲劇にするのだと思います。

 

  • 岸田さん

ギャツビーのお父さん、なんか聞き憶えのある人の声だぞ…?って思ったら岸田さんでした。(ああ!デカダンスの扉のyoutube音源の人の声!笑) 

内くんとのデュエットは素晴らしくて、あのワンシーンだけなのが勿体無いくらい。個人的に感動したのが、父が置いた帽子を亡くなったギャツビーの幻影がそれを拾って被って捌けるんですね。すれ違ったまま引き裂かれた親子の中の絆を見たような気がしました。

 

とにかく美しかった。存在感だけで演技ができるようになったのだなぁ、ということにただただ驚いた。そして、歌の声質が今まで聴いてきたものと違っていたんです。声楽には疎いのですが、口腔内で響かせて歌っているような感じでした。数年前と格段に成長していて、彼がこの舞台を「20代最後の舞台」と雑誌で語っていたのに相応しい20代の今までの活動の集大成だったのではないかなと思います。歌だけでなく、SHOCKで鍛えたダンスのキレ、数々の主演舞台で培った座長としての振る舞い、舞台で「魅せる」演技すべてをとっても、良かったと思います。
そして最後の軍服かっこよすぎです…あれは反則……。衣装がスーツやタキシードなどそれだけでも眼福なのに軍服まで着せてくれるギャツビー最高かよ…!

 

 

 

つぎはギャツビー再演ですかね?個人的には私の人生を狂わせていただいたオダサクももう一度見たいのですが(ここ最近のインタビューで内くんのオダサク愛のあまりの強さに驚いた)
30代になって、もっとミュージカル俳優として大成していく内博貴を見届けていきたいと思います。

*1:「100人のうち1人が笑えばいいんだ。(=ウケすぎてもいけない)」【@7/16夜公演トークショー】と錦織さんは仰られていたそうだ。全ての人に好まれる演出と反対の方向へ敢えてシフトしているのではないか。

*2:天国の恋

「コインロッカー・ベイビーズ」を観劇してキクに落ちたジャニヲタの話

「コインロッカーベイビーズ」7/3千秋楽公演を観劇しました。

 

1幕の途中までは舞台の構成とか原作からどう引っ張って脚本を音楽劇らしく再構成しているのか、とかそういうことを考えてみていたんですよ。
あとはしちゃん可愛いなー、胸筋プルプルしてるなぁーとかそんな邪なことも考えつつ←
ハシのパンイチからのDが股間撫で上げするもなかなか衝撃的でこれが1番ファン的にキャーのやつかなぁ、なんて思ってたら 

 

例のキスシーンですよ!!!


まずキクといるアネモネが可愛くて可愛くて!キクの素っ気ない目線は「雄…!」って感じのキュンじゃなくて、無性的なのにただ鋭くて…うまく言葉に出来ないんですけどそれを見た瞬間 あかん… って思いました。思ってたけどまぁそこまでは普通に観てたんですよ。


それで、キスしてるときのキクの顔が!!!!

め、めっちゃえろいんですよ……
スーパーイケメンな顔してキスしてるぅぅぅ無理………(嗚咽) って思いながら舐め回すように双眼鏡覗いてましたもう本当やばい…(語彙力の限界)
このときね、上手にいるキクと下手にいるハシが同時にキスシーンしてるんですけどいや、まじ目が足りないですから……2人一緒やめて…(合掌)となってた私が次に悲鳴をあげそうになったのはキクがアネモネの舌を指で掴むところで、「もう、、キク、好き、、、(降参)」って感じ。ごめんやからこれ以上キュンとさせないでフミキュン…()


その後ハシが母に会うということを知ってアネモネを払い除けてキクが歌うシーンでの狂気とも言える気迫とのギャップがすごくてほぼ放心状態で1幕が終わりました。

 

2幕開けて早々ムショの面会シーンで
キク「舌、出せ」

からのキスシーン!!!!!

どエロい!!!!!!
まじたまんないっすわ……ありがとう世界……(ポンコツ)
その後のキクの貧乏揺すりにすらトキメクもんだから参ったよ…。

 

それと後半で私が楽しみにしてたのはキクが「俺たちはコインロッカーベイビーズだ」というところだったんですけど、ここをサラッと「いや、俺たちはコインロッカーベイビーズだ」と言った後に「東京を爆撃だ!!」って言ったときのお顔がクソイケすぎてつらかったです…。河合郁人さんってこんなかっこよかったの???最高か…。

 

カテコではしちゃんが「1年中やってていい!」「絶対再演する!」って宣言したのを聞いて、この作品は2人にどんな影響をもたらしたのだろうかと2人のバックボーンであるABC-Zに興味が出てきましたし、2人二とってターニングポイントともなるこの舞台を観に来て本当に良かったと思いました。
最後に舞台上にはしちゃんと郁人さんだけが残ったときに郁人さんの挨拶で、思わず涙が流れてそれを堪えながら話そうとしているのを見て郁人さん好きになるしかない…ってなりました(軽率)

そんな郁人さんをハグしながら肩をポンポンとたたいたはしちゃんもso cuteでした!


だいぶポンコツモードで勢いよくだけでここまで書いちゃったので最後は真面目に色々思ったことを書きますね(今更)

コインロッカー・ベイビーズ」という作品自体素晴らしくって、音楽をエレキギターをメインに構成することで退廃的かつエネルギッシュな原作の雰囲気を守っていたし、はしちゃんはとても繊細なハシをよく表現していました。狂気という面では繊細が故にキクよりもハシのほうがそのような演技を求められることも多いんですけど、はしちゃんはもう目がハシだった。とてもヒリヒリするような演技でした。原作では幼いころの描写がもう少し多いんですね。孤児院にいって、2人は孤独だった。荒れた2人の子どもは鼓動の音とともに過去を封印するんですね。そして君江に引き取られてから、ハシが催眠術で覚醒しかけて引きこもる前のハシはキクよりも世渡りがうまく友達が多かった。キクは高跳びに打ち込むことでしか自分を解放できなかった。そんなハシとキクは大人になるとマイノリティーの世界で生きることしかできないハシと問題を起こす前のキクは君江のことを大切にするなど比較的真面目な青年だったのだと思います。構成上、ある程度省かないといけないところを考慮しても、舞台上の2人はそんなハシとキクの背景すら身に纏っていたように思えました。きっとすごく勉強したんだろうな、と。

 

 

本当に素晴らしい舞台でした。音楽劇なのに小説の要素を壊さずに、村上龍さんがコインロッカーに乳児置き去りの事件を見て構想を練った空想の話なのにまるでそこにいるのは生身の人間のようでした。


再演の際にはキクのファンとしてまた観に来たいです。本当にお疲れ様でした!

丸山さん座長「マクベス」観劇してきました。(ネタバレ有り)

マクベス、行ってきました。
チケットは全滅したのですが、有難いことにフォロワーさんに譲っていただき観劇できる運びとなりました。思うことがありすぎて文章にしたのですが、無駄に長い&個人的な解釈ばかりです。


以下、ネタバレあり感想

《セット》
シンプルな舞台セット。左右に扉と階段、それが二階部分につながり、セットの奥に木が茂る。セットの奥や、中央の大きな扉は奥が透けて見え、それを用いた演出もありシンプルながら奥行きを感じた。後半、一階部分の扉が鏡のように映る場面があるのにも注目したい。

 

《音響》
ラッパ音や効果音の音源に加え、パーカッションとチェロ2名。マクベスの精神的混乱を現すかのような耳鳴りの音はビブラフォンボウイング(コントラバスなどの弓を使って鳴らす奏法)で表現。物語のキーとなる部分にベルの音がする。ティンパニの重厚な低音が臨場感をもたらす。

 

《物語》
・一番大きな改編のある冒頭部分について
物語の冒頭は魔女3人のシーンから始まる…と思いきや、戦闘のシーンより始まる。勇敢に戦うマクベスの瞳に迷いの色はない。使者から戦いの勝利を告げられるマクベス。これで戦いは終わったにもかかわらず敵はマクベスに襲いかかる。最後の1人まで刺したところ、その人の元に2人の青年が駆け寄る。どうやらマクベスが刺した人物の弟らしい。弟は、マクベスを睨みつけ、切り掛かる。マクベスはそれを躱し、弟らも殺すが後悔の念を感じる。ここで、原作1幕3場のマクベスの台詞、「こんな、いいとも悪いとも言える日は初めてだ。」
マクベスに刺され、倒れていた敵がヨロヨロ起き上がりマクベスの周りに群がる。まるでマクベスを呪う亡霊のようだ。その亡霊のうち三人が舞台上で不思議に踊る。瞳の部分だけが光り、なんとも不気味だ。ここで原作の冒頭の台詞に移る。魔女が魔物(男)に変更されているのもこのマクベスの大きな特徴であった。
そして物語は原作の通り、駆け抜けていくように進んでいく。

・登場人物について
マクベス夫人の第一印象は、やけに近代的でフェミニズムな雰囲気を感じ、この物語から浮いた印象を受けた。原作を読んで、マクベス夫人は夫を唆し王を殺させ、自らの地位を上げる為の悪女といったイメージであったのだが、丸山版マクベスにおけるマクベス夫人は、パンフレットにあったように、夫のために身を尽くそうとした結果、手段を選ばなくなり破滅していった女に見えた。その姿は非常に女性らしい姿であり、夫に王を殺させるという一見すると野心ある男性的な行動も、実は全てマクベスを想ってのことであったのではないかという推測もできる。

 

マクベスに仕える人物達というのも個性的で、それぞれに意思が働いて行動していっているので、この「マクベス」に生きる全ての人物にもストーリーがあるのだと感じた。(一度しか観劇できないので、この辺りは曖昧なのですが何度か観れたらマクベスの周辺にも感情移入することのできる余裕も生まれるのかなぁと思いました)

 

マクベスが没落していくにつれ、遠藤さん演じるマクダフの真っ直ぐな忠誠心が際立ち、この物語の中で秩序というものはあまりない印象を受けたのだが、マクダフを見ていると安心できる部分がありました。何より遠藤さんは安定感のある演技が素晴らしい役者さんでした。

 

マクベスについて
丸山さんの「マクベス」主演が決まったときにツイッターで流れてきた概要が「普通の男が、徐々に狂っていき殺人までも厭わないようになり破滅するストーリー」といったようなものを読んだので私のマクベスに対する印象はそれに依拠するものだったのですが、私の見た丸山さんのマクベスはまた少し違った表情をしていました。
まず、マクベスは非常に優しく繊細な男だということが丁寧に表現されていました。
また、マクベス夫人やマクベスが特に多用する「男」という言葉。これはマクベスが女性らしい繊細さを持つからこそ強調される言葉です。
マクベスが最初に王を殺しても尚、その呵責によって魔物は姿を消しません。(魔物=後悔の念によって生まれる。よってマクベスの優しさの象徴とも取れる)しかし、「王を殺す」ことで王の座を手に入れたマクベスの人格は、確実に破滅へと向かっていったのでした。
マクベスは柔和な男でありながら「王の座」に固執したために、その為なら何も厭わなかった。しかし、その度に虚妄に襲われ、病んでいく。
魔物から受け取った注射を打った後が大きなターニングポイントとなり、マクベスの心は変化し、破滅へと向かうスピードが更に増していきます。
最後の戦闘のシーンのマクベスは完全に殺すことに迷いはない目をしていました。正常な精神のマクベスによる戦闘のシーンが冒頭にあることで、クライマックスのシーンの戦闘でのマクベスの異常さが引き立つ。殺陣の刀の振り方一つとっても、トドメのさし方をとっても、違う人格になったようでした。

 

これだけでも複雑なマクベスの心境の変化があることが分かると思うのですが、それを台詞一行ずつ表情を変えて見事に繊細に表現してみせた丸山隆平さんが素晴らしかったです。


鈴木裕美さんがキャストの皆さんに「疾走感のあるマクベスに」と言ったように、駆け抜けるようにストーリーが進んでいきます。ぼーっとしていると置いていかれます。これだけの舞台をこの公演期間中、ときに1日2回演じる役者の皆さんは本当に凄いです。

 


私が観劇したのが6/30と幕が開けて間もないこともあり、ゆったりとしたシーンで少し台詞間違えなどがあったのですが、集中を切らすことなく休憩なし2時間30分。これがもっと進化したマクベスというのも見てみたいです。なにより、狂気というオーラに包まれた丸山さんが舞台上で座長を務めていることがただただ素晴らしかったです。
千秋楽まで、無事に走り続けられるように祈っています。

 

 

追記:(自己解釈諸々)

・物語序盤マクベスに感情移入していたが徐々に客観的に見れたのはシェイクスピアが意図したものなのか?

→物語5幕は戦況を伝えるマクベスの出演しないシーンが多い。物語の終盤ではマクベスの心は決まっていたため、状況だけが刻々と変化する様子が伝えられる。これが一種の客観性を生んだのではないだろうか。(敢えて感情同化させないように構成している原作に沿ったかたちをとったのではないか)

 

マクベスと夫人のラブシーンは必要なのか?

→繊細なマクベス、野心のある夫人は女性的な面と男性的な面をそれぞれ逆転して持っている。しかし、夫人はマクベスに同情し夢遊病となる。マクベスもまた、夫人のために手を汚し、病気の夫人を気遣う。夫妻の愛がお互いを狂わせ、破滅させたという解釈も可能であるので夫妻の間の愛情を視覚的に表現する必要があったのでは? また、そのような夫妻なのに、夫人の死を「あれもいつかは死ななければならなかった」と淡々と告げるマクベスの異常さを際立たせることもできる。

 

堂本剛さんを好きになってから、世界の色がほんの少し変わった話

つよしさんの誕生日のときから、つらつら考えていた、私にとってつよしさんはどんな存在なのか、改めて考えてみた。

例えば誰かに「あなたの担当は?」と聞かれると躊躇いもなく安田担と答えるだろう。つよしさんも担当と言ってしまえば担当だけど、なんだか腑に落ちない。それは私が掛け持ちに対して違和感を覚えるとかそういうわけでもなく、担当だとかそうでないとかの線引きは人によって曖昧なものだから、私のつよしさんへの応援スタンスに名前を付けようとするのはやめた。ただそれだけなのである。



いつ私がiPodに「ROSSO E AZZURRO」をインポートしたかは覚えていない。多分、中学生の頃ジャニーズのアルバムを近所のレンタルショップで借りれるだけ借りていた時期があったからきっとその頃からだと思う。安田くんの尊敬する先輩の音楽だから聴いておこう、確かそんな感じだったのではないか。このアルバムは私に聴かれることなく、ずっと眠り続けていた。



忘れもしない、高校2年の冬のある夜。私は暗い部屋に閉じ籠って、呼吸を整えていた。発作が起こったのに袋がなくて、このまま放っておいたらどうなるんだろう、どうなっても良いとすら思った。原因は家庭内の問題だったし、今となっては解決したことではあるが当時の私は、深く心に突き刺さった棘を抜く術はなく、止血をする術もなかった。あの日のことは、具体的に書くと精神的に苦しいので非常に抽象的ではあるけれどこれで許してほしい。

その夜に、私を救ってくれたのは「Panic Disorder」だった。
今まで不協和音としか思えなかったイントロが、そのときの心の色と重なった。

不意に襲う呼吸困難に
やつれた心はたくましく
力強く生きてる

この歌い出しに酷くドキッとした。

貧弱な魂は
孤独を自由と叫ぶ

ああ、闘わないといけないんだと思ったことは鮮明に記憶している。



それから沢山彼のことを調べた。こんな歌詞が書けたのは誰よりもつよしさんが闘っていたからだと知った。
眠れない夜も、朝焼けのピンクが美しいことを知った。永遠など存在しないからこそ、たった一度の人生を人は生きているということ。
でも、心の中にそっと叶う永遠もあるということ。
求めるより与えることで生まれる愛があるということ。
愛に溢れた優しい人だから、愛無き言葉に傷つけられて、それでも愛をすることを諦めない彼が好きだと思った。





あれから3回目の春を迎えた。今年の桜も美しかった。やっぱりつよしさんに担当といったようなラベルを貼ることは出来ない。どこまでも重いヲタクであるとは自覚している。
つよしさんが提示する、「僕なんかに依存しないでね」っていう言葉は、突き離しているようだけど、ずっと一緒に居られるためだと知っているよ。叶う永遠をつくるために。
遅ばせながらですが、堂本剛さん37歳おめでとうございました!




沼があれば飛び込めばいい

今年、私が行った現場は25公演ほど。今まで年に5公演程度だったのに私に何が起こったのか。 

A.目の前にある沼に飛び込みまくった。

今年行った現場のジャニーズを並べてみると、関ジャニ∞KinKi Kids堂本剛堂本光一タッキー&翼、V6、内博貴。元々私は関ジャニ∞のファンなので現場は関ジャニ∞のコンサートとソロの舞台、内くんの現場くらいのものであった。ここでは、私が今年浸かった沼を紹介する。




以前から曲を聴くことは多かったKinKi Kids。沼に浸かるきっかけは去年の冬。「またまた突然ですがKinKi Kids生放送」である。まさかのラジオ出。
沢山のメッセージメールが届く中、ほのぼのとトークを繰り広げるKinKi Kids。世界平和かよ。それなのに、番組の最後には素晴らしい生歌なんて歌っちゃうんだからKinKi Kidsは罪深い。そこから、KinKi KidsのLIVEDVDを実家の近所に住む20年来の光一担さんから貸していただいた。特に衝撃的だったのはファミコン*1宇宙に浮かぶ KinKi Kids。この世の奇跡かよ。
この時点でKinKi Kidsというシンメの尊さに打ちひしがれる。2人なのに、なにこの圧倒的な空間は…!この時点で、もう後戻りできないところまできてしまいました。



正直、去年の自分はエイトとKinKiを掛け持ちするなんて楽勝だと思っていました。だってKinKi、冬しか活動してないし。リリースもライブもそんなにないし。(失礼) そんな感じで気軽に春にFC加入。
でも、早々にそれは大きな間違いだということに気づくのです…!何故なら、KinKi Kidsは個人としての活動も大きなウエイトを占めている。…ということは、KinKi Kidsを応援しようとすると、KinKi Kids堂本剛堂本光一の3つを応援することになるんですよね! ナンテコッタ!!! 
それぞれのソロは、見事に違う魅力的な色を持っているので見過ごせない。剛さんのファンクなグルーヴに酔いしれる空間も、光一さんのキラキラと宙を舞うプロ意識の塊のような姿も目を離せない。2人が揃えば、ただただ同じ姓で同じ関西という地で100日違いで生まれた奇跡に咽び泣く。とにかく尊い。 




何となく、去年からずっと気になっていたタキツバ。沼に浸かるきっかけは今年のツアー「ふたり旅」滋賀公演である。滋賀公演は何を隠そう、今井翼さんのお誕生日公演。未だにチケットが手に入ったのは奇跡だと思っている。振り付けが多いタキツバのコンサートは私のようなにわかには敷居が高そう、という勝手な思い込みがあって今まできっかけがあってもあまり前向きではなかったのだが、結論、めちゃくちゃ楽しかった。
踊りまくって、コールして、ただただ幸せな時間だった。MCでは、滝沢さんによる翼さんへのお誕生日会があったのだが、(滝沢さん、翼さんのこと好きすぎるでしょ……!?!?)という衝撃の連続。誕プレはお揃いのセグウェイに、スタッフを巻き込んでのパフォーマンス、滝沢さんの想いが詰まったお手紙、観客にも飴のプレゼント。
コンサートで見た滝沢さんは、想像よりもずっとエンターテイナーだったし、翼さんは真面目で優しさが滲み出ていてかっこよかった。翼さんの低音ハモりが心地よく耳に残って、滝沢さんはとにかく美しい。MC内で、新春コンサートが発表されたときには絶対行く!!と意気込むほどに、タキツバのライブは楽しかったのだ。   




友達が誘ってくれたVコンは、”アイドル”たるものを魅せつけてくれた。20年経って変わったものもあるけれど、変わらないものだってそこにあるのだということ。変わらないことは何よりもアイドル当人の努力が必要不可欠であること。坂本さんの会場全体を感慨深そうに眺める姿、長野さんのしなやかで美しい踊り、井ノ原さんのファンを見つめる笑顔、剛健は確かに存在するということ、岡田さんの安心したような笑顔。素敵な空間でした。






2015年は沢山のアイドルを見ることができた1年だった。私は、好きなものは好きだと言いたい。比較するよりも、個性を愛したい。目の前に、好きになるかもしれない「沼」があれば飛び込めばいいと思う。誰か1人を好きでい続ける必要なんてないと私は思う。担降りなんて大それたことを、考えなくて良いじゃないか。それよりも、今そこにいるアイドルを応援できるのは今しかないのだから。

*1:ゲームではない。正式名称「2010-2011 君も堂本Family

#とあるジャニヲタの1日 

あややさんのこちらのブログから、#とあるジャニヲタの1日というエントリーが流行っているようなので、私も波に乗ってみた。

moarh.hatenablog.jp

ちなみに、私は京都のとある大学に通う文系一回生である。今週いっぱいまで、長い夏休みを謳歌してきた。昼過ぎまで寝て、そこからバイトに行って夜中までジャニヲタ活動をし、(時にはには新聞配達のバイクの音を聞いて急いで就寝することも)寝て起きて寝て起きるだけ。ホンッットーに、自堕落な生活を送ってきた。これは、私の月曜日から始まる学校生活を思い出すための、(自省的な意味を含めた)とあるジャニヲタの1日である。

 

f:id:confi818:20150926011834p:image

※とりあえずグラフ作成してみたが、エクセルが使いこなせないので、時間軸がずれている。



私は、だいたい朝は6:15くらいに起きる。ケータイのアラーム(BGM:愛のかたまり)
互いに愛が大きすぎると 失うこと思ってしまうの

よくよく考えたら朝から私、重いな!?っていう、そんな曲選ですが。この段階では半分夢の中にいるのでだいたいアラームを止めることなくフルで音楽を聴いてから心地良く二度寝している。

二度目のアラーム(BGM:Eightopop!!!!!!!)で朝イチにはキツいハイテンションの曲でなんとか起床する。この曲は自担の安田さんの作詞作曲の、萌えに意味なんかなくてOK!」という感じの曲です。ちなみに、これで起きれないと三度目のアラーム(時計のベルの爆音)が待っているので、ジャニーズの声で起きたい私は、なんとかそれまでに起きる努力はしている。*1


そして、録画した深夜番組をつけながら、朝食、メイク、着替え、持ち物準備をするとなんやかんやで家を出る時間になっている。

学校までは大体1時間ほど。電車とバスを利用している。電車は快速ではなく、各駅に乗ってゆっくり座って行くのがマイルール。学校に行くツラさと、最寄りが観光名所と近いがために、年中観光シーズンで混み合う京都のバスの苦痛をなんとか乗り越えようと、関ジャニ∞「象」*2KinKi Kids「たいむ・とらべ・らばーず」*3は、ほぼ毎日聞いている。


学校に着くと、大体4限まで適当に授業があるので、ちゃんと教授の話をちゃんと聞いたり聞かなかったりしながら授業を受ける。空きコマは図書館へ行って読書か、課題をしている。1コマ分あれば小説一冊は読めるので、読了後は読書メーターに記録をして、仮眠を取り次の授業へと向かう。昼は友人と、ごはん。学食は混むので時々空きコマがある子たちで回転ずしに行くのが楽しい。ちなみに大学の気の合う友人の中でジャニヲタはいない。同じクラスにエイト担がいるのだが、ヲタクとしてタイプが違うので時々話す程度。ちなみに、友人は私が重度のジャニヲタであることは知っている。(というか隠せなかった。)*4 午後の講義は寝たり寝なかったりしてTwitterのタイムラインをこっそり眺めながら過ごす。


授業が終わると、バスに飛び乗って帰宅する。帰宅時はラジオの音源を聞いていることが多いかもしれない。バイトがない日はここで、スーパーに寄って買い物をして、そのまま帰宅後スーパージャニヲタタイムに突入するわけだが、冬ツアーも迫ってきている今、貯金の為に週4ほどでバイトに入っている。何をしているかというと、ちょっと小洒落た居酒屋のキッチンを担当している。立ち仕事で結構カラダを酷使されるが、料理を作ることは嫌いではないし、バイト仲間がいい人ばかりなのでそれなりに楽しくやっている。それでもしんどいときは、次の現場のことを考えるだけでやる気が出てくるのでジャニヲタはチョロい。12月の繁盛期にツアー遠征で週末のバイトを休まなければならないことはまだ店長には言っていないが、*5シフトを入れたら元NEWSヲタの店長には全てお見通しされそうなので今から少し怖い。(たまにジャニーズ話で盛り上がってるし基本的には理解のあるいい人です。)

でもそのために働いているのだから仕方ないよね!?!?(号泣)


イケメン(彼女持ち)の先輩が作ってくれた賄いを食べたりして、帰宅はだいたい23:30ごろ。そこからお風呂はいったりして、休憩しつつ、ジャニヲタターーーイム!!!に突入する。まず、Twitterを遡って、そのままラブセンをして、時間があれば朝に見た録画番組をリピートするか、LIVEDVDを見る。たまにパンフレット・コレクションに手を出してしまった日には、気づけば時間が過ぎ去っている。

大学入学を機に、自ユニの関ジャニ∞に加え、本格的にKinKi Kids掛け持ち担となった私はとにかく時間が足りない。出来るだけリアルタイムで見れるものは見たいのだが、テレビ番組だとどうしてもCMの時間が勿体無いと感じてしまうので少し遅れて追っかけ再生しながら、CMを飛ばしていく。担当の他に気になるJが結構いる私は、情報収集の手段としてTwitterは、やはり必需品。とにかく情報の回ってくる速さで言えばTwitterが1番だと思う。タイムラインを眺めながら、気になった部分をエゴサしたり、ググったり。私は、長いブログの文章も大好きなのでKinKi Kidsの2人であることの尊さについて語られたブログや、関ジャニ∞のコンビの関係性を語ったブログ、アルバム全曲レビューなどを読み耽ることもしばしば。読み出したら止まらないので、次の日にギリギリ支障が出る時間帯くらいで就寝する。←アウト

基本的には課題は学校にいる間に終わらせてしまうことが多いので、家では精一杯ジャニヲタを謳歌する私ですが、研究期間はそれどころではない。もう研究テーマが決まっているので早めに制作して楽になりたいところ。さもないと、このジャニヲタタイムの時間がそのままレポート作成時間になってしまう。(それでもLIVEDVDは常に流していると思う)


こんな感じの1日を過ごす大学生ですが、大学生という時間が有り余っている私の時間の余白は殆どジャニーズに費やしていると言っていいかもしれません。エイトの現場に一緒に入ってる丸山さんと長野さん担当の片割れの人と朝イチから深夜まで永遠とLINEしているので学校でジャニーズ話ができないフラストレーションはあまり溜まらないかな。ジャニヲタ話を出来る人と常に色々話すのは結構大事。そうじゃないと、Twitterで仕入れた「これは・・・!!!」な情報を共有できる相手がいないストレスを感じてしまう。

こんな生活をまた月曜日から送れるように、とりあえず明日は午前中には起床して買い物にでも行けたらと思う。



以上、何の変哲もないジャニヲタの1日でした!!!

*1:御察しの通り朝に弱い

*2:関ジャニズム収録

*3:Mアルバム収録

*4:周りに隠し通しているジャニヲタの皆さんは逆にどうしたら隠し通すことができるのか教えていただきたい

*5:なかなか休みづらい職場なのだ