深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

安田担の杞憂

エイタメDVDのMCを見て、何となく空回っているというか、言いたいことが上手いこと伝えきれていないのであろう安くんを見ると、もどかしいような気持ちになる。
新年会のDVDの「カーテンの隙間から差し込む朝日」の件もそうで。これは安くんの文脈の解釈の違いによって起こったことであると思うのですが、質問の意図することとは違う答えをしてしまう安くんは至って真面目なんですよ。それを理解できないメンバーと、フォローしようとしたけれど別方向からフォローしてしまった村上さん…と、何ともハラハラする展開だった。これは、決してメンバーが悪い訳でなくて、安くんが間違っていた訳でもなかった。
バラエティのときでもそう。彼の思考回路は、話題とされているものから、突然飛んでしまうことがある。相手が予想している言葉と余りに違っているから、つっこまれたり、場合によっては理解できずにその話題が流れたりする。しかし、流れを無視しているようで、彼の中ではそれは繋がっている話題であって、後から考え直すと別段突飛な発言でないこともある。
安くんが、もし、こういうことに上手く対処できる性格だったら、こういう風に気を揉むこともないのだろうけれど、彼を嫌いになる要素の一つにもなり得ないのだ。
「もっと上手くやればいいのに」とは思う。でも、関ジャニ∞の中で安田章大のちょっと変わった思考回路は必要なものなのではないだろうか。他のメンバーとは違う解釈ができるから、グループとしての考え方が停滞せずにいられる。元々の優しい性格もあって、こんなところにも配慮しているのか、とファンとして驚かされることもある。そして、「上手くできない」からこそ、好きになれる部分があるのだ。
私は、もし彼が自分の思考を上手に言語化することができたのならば、音楽が彼に降りてくるなんてことはなかったと思うし、絵を描かなくてもよかったのだと思う。彼の才能は、いずれも「上手く言葉にできない何か」を伝える手段だからだ。
もし、安くんが自分都合のために話の流れを中断できるような性格だったら、私は果たして彼を好きになっていただろうか。
私は、彼が溢れんばかりの才能を持っているのにも関わらず、「あまりに普通でいる」姿が好きなのだ。そんなに器用に色々できるなら、もっとその才能をひけらかしてもいいものを、彼はあまりに普通なのだ。メンバーや、彼の周囲が言及して初めて、どこかおずおずとした様子で説明する。アーティスティックな人特有の鼻にかけたような、自信に満ちた感じ(あくまで偏見であるが)が驚くほどにない。そういうところが、愛おしいなぁと思うのです。

年々、何となく頑固さが出てきているように思う安くんの、真面目すぎるが故の小っ恥ずかしさとか、彼は流れを汲んでいるんであろうけれど、文脈解釈が周りとは違う故の空気の読めなさによるハラハラ感というのは、治るものでもないと思う。だから、安くんを応援するファンとして、これらの気持ちにどう付き合っていくのかが、健康なヲタクライフに大切なのだと思う。

滝翼はいいぞ

タッキー&翼に関するブログを読んで、私も滝翼についてもう一度考え直すきっかけになりました。
滝翼のいいところを、もっと多くの人に知ってもらいたい!!!こんな可愛い滝翼ちゃんを知らないなんて勿体無い!!!ということで、二番煎じ、三番煎じ…かもしれませんが、好き勝手に語ります。

 

①滝翼は仲良しでかわいいぞ
滝翼が揃った姿は前回は昨年の大晦日、その前は新春コン…とミューツー(伝説のポケモン)もびっくりの出現率。でも、揃ったときには2人とも驚くほど仲良しでかわいいぞ。
数年前の翼さんの誕生日には、滝沢さんが東京ドームを貸し切って野球好きの翼さんのためにプライベートで野球大会を開いたそうだよ!映像に残すためにカメラやウグイス嬢まで呼んだそうだよ!!因みにこれはプライベートです!!!愛が重いな!!!(翼さんが負けないように、チーム今井VSチーム翼で戦ったらしいぞ!愛が重い!!!)
その他にも語り出すとキリがないので、もし気になったら「タッキー&翼_仲良しエピソード」で検索してみてください。

 

②滝翼の曲はいいぞ
滝翼の曲ね〜〜、「あ・つ・くVenus!!」と「君があ〜いのはな 僕があ〜いのはな♪」ぐらいしか知らない🤔 って人多いんじゃないでしょうか!? 音楽番組で、ま〜〜〜〜ッッVenusと夢物語しか歌いませんもんね!良曲がいっぱいあるというのに!!(勿体無い)
ジャニーズJr.に未だに歌い継がれるリアデラ(REAL DX)をはじめ、滝翼には名曲が数多くあるんです!

当方、関ジャニ∞KinKi Kids担でもありますので、他担の方々に聴いていただくならこれかな〜〜という曲を独断と偏見でチョイスしてみました。

 

・「時間旅行」(収録:TEN)「時間旅行Second!」 (収録:山手線内回り〜愛の迷路〜)
トンチキ度 ★★★☆☆ お洒落度★★★★★
関ジャニ∞で「泣かないで僕のミュージック」を提供された林田健司さん作詞作曲の二部作。
「時間旅行」はギリシャとかモンゴルとか南極で告(コク)る曲。
「時間旅行Second!」ではタイのパタヤ、プララン島、キルナ…など中々マニアックな所を引き続き旅する曲…と歌詞はアレな感じだが、曲調のお洒落さでトンチキ度が若干薄まってくれている。

・「絆も奇跡もここにある」(収録:TEN)
エモさ★★★★★ 物語度★★★★★
関ジャニ∞「Eden」「旅人」「BJ」、V6「WALK」「Orange」などの作曲を担当されたHIKARIさん提供曲。
本人作詞ではないけれど、まるで物語かのように2人の歴史が綴られる一曲。
私は「お前らしいよな 好きなことなら 世界の果てだって 飛んで行くんだろう」の歌詞に毎度泣きそうになります。好きなことを追い続ける情熱をそれぞれが持ちながら、それでも隣同士で走り続けてきた2人の曲です。

・「ねぇ」(収録:Two Tops Tresure)
心がしんどい時に染み渡る度★★★★★★
翼さんが療病中に聴いていた、というこの曲。私はこの曲をラジオで聴いて滝翼に落ちたと言っても過言ではありません。
本当に心が疲れた時には「頑張れ!」よりも「ねぇ、自分なりのペースで」と、そっと語りかけてくれるほうが心に染み渡るときがあるのです。二人の心地よいハーモニーを堪能できる一曲です。

 

まだまだ本当にいい曲が沢山あるので、是非、CDレンタルで借りてみるのもいいですし、枚数も少ないので(自虐ではない)是非!!
滝翼は基本的に滝(メインボーカル、上ハモ)の翼(下ハモ)なので聞き分けてみてください☆

 

③滝翼ライブは楽しいぞ
そんな滝翼の曲が聴けるコンサートはめちゃくちゃに楽しいです!
正直な話、なんとなく、滝翼のライブは敷居が高いかな〜〜と行く前まではそう思っていました。何故なら、滝翼はファンが振りつけを踊る曲がやたらめったら多いから!!!ジャニヲタとしてはそこそこの人生経験を積んでいるつもりですが、振りつけといったって関ジャニ∞のコンサートでのブンブン!とかじゃ\ジャジャジャーン/くらいしか出来ないぞ!?!? と思いつつも、動画を漁れども出てこないので、滝翼沼に落ちて一週間の私はチケットのご縁もあり、ほぼ予習ナシで初の滝翼コンへ行ったのでした。
なんとな〜くどの現場よりも落ち着いた客層の滝翼コン。入ってみると、初心者でもなんとなく振りを合わせているだけで踊れている気になって、めっちゃ楽しいんです。結論、滝翼コンはファン参加型のお祭でした。ジャニヲタ必修科目(?)の夢物語とVenusは勝手に身体が動くし(これは前述した音楽番組で何度も刷り込まれた賜物)、汗を掻くくらいに、MCとバラード曲以外はずっとペンライト片手に踊りまくって、、、。
滝翼ってコメディ色(しかもちょっと昭和ノリ)の強いグループなので、気楽〜に参加できる感じがとっても良かったです。

演出も、それぞれが舞台中心に経験を積んでいるだけあってか、バランスの良い構成になっていて飽きがこない。
かっこいい曲では、三十路の色気ダダ漏れで翼さんがフラメンコで培ったエロい腰つきとかしちゃうからズルいんですよね〜!!!

このファン参加型のお祭感のある雰囲気は滝翼コンでしか体験できないと思うので、是非ともジャニヲタの皆さんに一度行ってもらいたいです。(私が富豪だったらチケットをばら撒いて滝翼担を増やすのにな〜〜〜〜)

 

これを読んで、もしほんの少しでも滝翼を気になったと言ってくださる方がいてくれると幸いです。今年はタッキー&翼15周年という記念すべき年なので、ふたりとふたりを愛する人でお祝いできますように!!!

チョコレートに関する散文

 

私はチョコレートが好きだ。

コンビニで必要でもないのに、ついつい買ってしまう。
甘ったるいミルクチョコレートは疲れたときに休息がわりで食べるのに最高だし、成人してからはビターチョコレートを赤ワインと伴に嗜むことを覚えた。
バレンタインデー前のデパ地下のチョコレート売り場は戦場だけれど、ドキドキする。好きな人にチョコレートを渡すなんて、言ってしまえば日本企業の陰謀だけれど、女の子が想いを託すものがチョコレートだからこそ、夢があるのだと思う。

 

チョコレートとは、不思議な食べ物だと思う。
児童文化に登場する「チョコレート」は、いつだって子どもたちの憧れや自由の表象である。それは、子どもでも安易に手に入れることのできる嗜好品だからであろうか。

ーそう、チョコレートは嗜好品なのである。ドラッグと同じように常習性がある、なんていう論文も出ているらしい。

 

チョコレートの原料のカカオは、アフリカ・中南米・東南アジアといった高温多湿の気候で育つ。高温だとチョコレートは溶けてしまうから、カカオの生産者はチョコレートの味を知らないのだと、何かで読んだ記憶がある。生産地でつくることのできないものを、支配者が手に入れる。チョコレートをつくる背景は、資本主義と植民地主義に塗れているのだ。

これは、チョコレートのもつ、自由と憧れのイメージと乖離しているように思える。

 

だけれど、私は今日もチョコレートをひとかけら、チョコレートの矛盾と世の中の矛盾を口の中で溶かすようにして食べるのだ。チョコレートの常習性に負けた、と言い訳をしながら。

「グレイト・ギャツビー」観劇してきました。

内博貴主演「グレイト・ギャツビー」京都公演を観劇しました。

 

今回は7/15、7/16マチソワ公演の3回それぞれを左右には上手・センターブロック・下手、前後には一階席2列目・二階席・一階席の中央と敢えて多くの角度や距離感で観劇できるかを重視して座席を選びました。


予習をせずに観劇したので、ミュージカル「グレイト・ギャツビー」の知識のみで勝手に語っていきます。(ディカプリオ版の予告は見ました。今回はこの映画を中心に再構成したようなので、またレンタルしにいきたいと思います。)

 

 

 

以下、ネタバレ有り感想文

 

・懐かしさ
そこはかとなく漂うオダサクの雰囲気。

「ザ・オダサク」は内博貴主演、再演の際には今回と同様にヒロインを愛原実花が演じ、コング桑田氏も助演していた。

何より、演出の錦織さんと音楽の岸田さん、スタッフが同じメンバーなのである。

舞台を戦時〜戦後の日本から1922年の夏のニューヨークに移し、「グレイト・ギャツビー」は上演された。

ここで私が感じたのは錦織演出独特の小笑いを挿入するところ。(演劇ファンとしては好みが分かれるところではある)*1

そして、岸田さんの音楽で、主要な役者にテーマソングを持たせるところ、それを変化させつつリプライズさせるところである。

その懐かしさが、このグレイト・ギャツビーチーム全体のアットホーム感を築いていたようにも思う。
(「運命のルーレット」とてもオダサクっぽかったと思ったのは私だけでしょうか…?笑)

 

1920年代のアメリカ
「グレイト・ギャツビー」は単に偽りの地位で成金になったギャツビーが没落する話ではない。その背景には、アメリカが抱える人種差別、貧富の差、歪んだ社会構成が存在し、それらが物語を支配していくのだ。
これは物語の根幹を成す部分であると私は思うのだが、これがとても丁寧に描写されていた。それは、物語序盤から徐々に種を蒔き、クライマックスにそれが花となるような感覚になりました。


例えば、
*ニックがベイカーに初対面したシーン、ニックから実家の仕事を聞かれて黙り、話をそらす。ベイカーはやけにニックに積極的だった。(これらはベイカーのhungryに帰結する。)


*トムは非常に白人主義であり、黒人や労働者階級といった人を差別し卑下する。「ホワイトアメリカ」の後にベイカーにボールを持ってくるのが黒人。(これは後から演出で加わったものらしい。byトークショー) トムは差別意識が強い分、ギャツビーが東の生まれだと気づく。

 

このような意識下での動きが、後の歌に繋がり、見る度に新しい発見を生み、興味深いところでありました。

 

・疑問点

 

ギャツビーは悪人だったのか?
座長のファンなので、主にギャツビーを中心に見ていたのですが、そうなると心情変化が気になります。
謎に包まれたギャツビーはやがてトムに化けの皮を剥がされ、東の農民生まれだと言われる。成り上がっても、結局は元からの金持ちに見下される。これはある種の絶望を意味しますよね。
私が気になったのは、「お金はお金。汚く稼いだお金を綺麗に使って何が悪い!」というギャツビーの台詞。実際にギャツビーは稼いだお金で実家に仕送りをしていたのだ。
ギャツビーは異常なまでにデイジーに執着していたが、デイジーがギャツビーを振ったのにも関わらず、轢き逃げを起こしたデイジーを庇いデイジーを愛する姿には同情、憐れみという言葉が当てはまるでしょう。
ギャツビーのやってきたことは悪だったのかもしれないが、結局は彼は善人だったのではないか? SHOCKでいうウチにも似た善人の歪みを覚えました。

 

 

・素敵なキャストさん

最初から最後まで出ずっぱり。そして出番だけでなく歌も台詞も多い!この人無しでは今回の舞台は成し得なかったでしょう。この物語における「良心」のニックを爽やかに演じられていました。歌で語るシーンの声が聞き取りやすく安定していて、ニックのお陰で物語を掴むことができました。

 

オダサクぶりの実花さん。可愛らしい方だなぁと思って毎回見ていました。今回、強いオンナが沢山いる中で、翻弄される女の子の弱さみたいなものも感じました。

ミュージカル初挑戦だそうで。ダンディな演技と低音ボイス、よかったです。トムは当時のアメリカの正義を体現する人物だったのかもなぁ、と思ったりしています。内くんととっつーと高田くんを焼肉ご馳走していただいたそうでうちの子達がお世話になりました…(誰目線w)

 

  • 大湖せしるさん

ベイカーはごめんね青春!の蜂矢先生とホラン千秋を足して2で割った感じだなぁってずっと思ってました(どうでもいい)
せしるさんは喉の調子が悪かったようで、京都公演で始めて「hungry」を歌われたそうで。以前の演出は分かりませんが、ベイカーの意外な一面をあの場面で魅せるのか!って感じで面白かったです。

 

  • 高田翔くん

志田ちゃん。今回はまさかウエディングケーキに突っ込まないよね?*2とか思っててすみませんでした。労働者階級のミカエルのジャジーなソロがとても良い歌声でした。サックスは吹きまねなのだろうか。

 

  • コングさん

マスコットキャラクターですよね完全にw
そして最後のまさかの。存在感が凄いです。一気に引き込まれる演技をされる方です。

 

めっっちゃ歌がうまい!!声量がすごくて圧倒されました。

 

  • 木村花代さん

トムの愛人のマートルは裕福な暮らしに夢を見ていた。成り上がることを生き甲斐にしていた。しかしギャツビーは成り上がってもまた、貧しい血が流れているとトムに卑下される。救いようがない…。マートルの存在がこの物語を一層悲劇にするのだと思います。

 

  • 岸田さん

ギャツビーのお父さん、なんか聞き憶えのある人の声だぞ…?って思ったら岸田さんでした。(ああ!デカダンスの扉のyoutube音源の人の声!笑) 

内くんとのデュエットは素晴らしくて、あのワンシーンだけなのが勿体無いくらい。個人的に感動したのが、父が置いた帽子を亡くなったギャツビーの幻影がそれを拾って被って捌けるんですね。すれ違ったまま引き裂かれた親子の中の絆を見たような気がしました。

 

とにかく美しかった。存在感だけで演技ができるようになったのだなぁ、ということにただただ驚いた。そして、歌の声質が今まで聴いてきたものと違っていたんです。声楽には疎いのですが、口腔内で響かせて歌っているような感じでした。数年前と格段に成長していて、彼がこの舞台を「20代最後の舞台」と雑誌で語っていたのに相応しい20代の今までの活動の集大成だったのではないかなと思います。歌だけでなく、SHOCKで鍛えたダンスのキレ、数々の主演舞台で培った座長としての振る舞い、舞台で「魅せる」演技すべてをとっても、良かったと思います。
そして最後の軍服かっこよすぎです…あれは反則……。衣装がスーツやタキシードなどそれだけでも眼福なのに軍服まで着せてくれるギャツビー最高かよ…!

 

 

 

つぎはギャツビー再演ですかね?個人的には私の人生を狂わせていただいたオダサクももう一度見たいのですが(ここ最近のインタビューで内くんのオダサク愛のあまりの強さに驚いた)
30代になって、もっとミュージカル俳優として大成していく内博貴を見届けていきたいと思います。

*1:「100人のうち1人が笑えばいいんだ。(=ウケすぎてもいけない)」【@7/16夜公演トークショー】と錦織さんは仰られていたそうだ。全ての人に好まれる演出と反対の方向へ敢えてシフトしているのではないか。

*2:天国の恋

「コインロッカー・ベイビーズ」を観劇してキクに落ちたジャニヲタの話

「コインロッカーベイビーズ」7/3千秋楽公演を観劇しました。

 

1幕の途中までは舞台の構成とか原作からどう引っ張って脚本を音楽劇らしく再構成しているのか、とかそういうことを考えてみていたんですよ。
あとはしちゃん可愛いなー、胸筋プルプルしてるなぁーとかそんな邪なことも考えつつ←
ハシのパンイチからのDが股間撫で上げするもなかなか衝撃的でこれが1番ファン的にキャーのやつかなぁ、なんて思ってたら 

 

例のキスシーンですよ!!!


まずキクといるアネモネが可愛くて可愛くて!キクの素っ気ない目線は「雄…!」って感じのキュンじゃなくて、無性的なのにただ鋭くて…うまく言葉に出来ないんですけどそれを見た瞬間 あかん… って思いました。思ってたけどまぁそこまでは普通に観てたんですよ。


それで、キスしてるときのキクの顔が!!!!

め、めっちゃえろいんですよ……
スーパーイケメンな顔してキスしてるぅぅぅ無理………(嗚咽) って思いながら舐め回すように双眼鏡覗いてましたもう本当やばい…(語彙力の限界)
このときね、上手にいるキクと下手にいるハシが同時にキスシーンしてるんですけどいや、まじ目が足りないですから……2人一緒やめて…(合掌)となってた私が次に悲鳴をあげそうになったのはキクがアネモネの舌を指で掴むところで、「もう、、キク、好き、、、(降参)」って感じ。ごめんやからこれ以上キュンとさせないでフミキュン…()


その後ハシが母に会うということを知ってアネモネを払い除けてキクが歌うシーンでの狂気とも言える気迫とのギャップがすごくてほぼ放心状態で1幕が終わりました。

 

2幕開けて早々ムショの面会シーンで
キク「舌、出せ」

からのキスシーン!!!!!

どエロい!!!!!!
まじたまんないっすわ……ありがとう世界……(ポンコツ)
その後のキクの貧乏揺すりにすらトキメクもんだから参ったよ…。

 

それと後半で私が楽しみにしてたのはキクが「俺たちはコインロッカーベイビーズだ」というところだったんですけど、ここをサラッと「いや、俺たちはコインロッカーベイビーズだ」と言った後に「東京を爆撃だ!!」って言ったときのお顔がクソイケすぎてつらかったです…。河合郁人さんってこんなかっこよかったの???最高か…。

 

カテコではしちゃんが「1年中やってていい!」「絶対再演する!」って宣言したのを聞いて、この作品は2人にどんな影響をもたらしたのだろうかと2人のバックボーンであるABC-Zに興味が出てきましたし、2人二とってターニングポイントともなるこの舞台を観に来て本当に良かったと思いました。
最後に舞台上にはしちゃんと郁人さんだけが残ったときに郁人さんの挨拶で、思わず涙が流れてそれを堪えながら話そうとしているのを見て郁人さん好きになるしかない…ってなりました(軽率)

そんな郁人さんをハグしながら肩をポンポンとたたいたはしちゃんもso cuteでした!


だいぶポンコツモードで勢いよくだけでここまで書いちゃったので最後は真面目に色々思ったことを書きますね(今更)

コインロッカー・ベイビーズ」という作品自体素晴らしくって、音楽をエレキギターをメインに構成することで退廃的かつエネルギッシュな原作の雰囲気を守っていたし、はしちゃんはとても繊細なハシをよく表現していました。狂気という面では繊細が故にキクよりもハシのほうがそのような演技を求められることも多いんですけど、はしちゃんはもう目がハシだった。とてもヒリヒリするような演技でした。原作では幼いころの描写がもう少し多いんですね。孤児院にいって、2人は孤独だった。荒れた2人の子どもは鼓動の音とともに過去を封印するんですね。そして君江に引き取られてから、ハシが催眠術で覚醒しかけて引きこもる前のハシはキクよりも世渡りがうまく友達が多かった。キクは高跳びに打ち込むことでしか自分を解放できなかった。そんなハシとキクは大人になるとマイノリティーの世界で生きることしかできないハシと問題を起こす前のキクは君江のことを大切にするなど比較的真面目な青年だったのだと思います。構成上、ある程度省かないといけないところを考慮しても、舞台上の2人はそんなハシとキクの背景すら身に纏っていたように思えました。きっとすごく勉強したんだろうな、と。

 

 

本当に素晴らしい舞台でした。音楽劇なのに小説の要素を壊さずに、村上龍さんがコインロッカーに乳児置き去りの事件を見て構想を練った空想の話なのにまるでそこにいるのは生身の人間のようでした。


再演の際にはキクのファンとしてまた観に来たいです。本当にお疲れ様でした!

丸山さん座長「マクベス」観劇してきました。(ネタバレ有り)

マクベス、行ってきました。
チケットは全滅したのですが、有難いことにフォロワーさんに譲っていただき観劇できる運びとなりました。思うことがありすぎて文章にしたのですが、無駄に長い&個人的な解釈ばかりです。


以下、ネタバレあり感想

《セット》
シンプルな舞台セット。左右に扉と階段、それが二階部分につながり、セットの奥に木が茂る。セットの奥や、中央の大きな扉は奥が透けて見え、それを用いた演出もありシンプルながら奥行きを感じた。後半、一階部分の扉が鏡のように映る場面があるのにも注目したい。

 

《音響》
ラッパ音や効果音の音源に加え、パーカッションとチェロ2名。マクベスの精神的混乱を現すかのような耳鳴りの音はビブラフォンボウイング(コントラバスなどの弓を使って鳴らす奏法)で表現。物語のキーとなる部分にベルの音がする。ティンパニの重厚な低音が臨場感をもたらす。

 

《物語》
・一番大きな改編のある冒頭部分について
物語の冒頭は魔女3人のシーンから始まる…と思いきや、戦闘のシーンより始まる。勇敢に戦うマクベスの瞳に迷いの色はない。使者から戦いの勝利を告げられるマクベス。これで戦いは終わったにもかかわらず敵はマクベスに襲いかかる。最後の1人まで刺したところ、その人の元に2人の青年が駆け寄る。どうやらマクベスが刺した人物の弟らしい。弟は、マクベスを睨みつけ、切り掛かる。マクベスはそれを躱し、弟らも殺すが後悔の念を感じる。ここで、原作1幕3場のマクベスの台詞、「こんな、いいとも悪いとも言える日は初めてだ。」
マクベスに刺され、倒れていた敵がヨロヨロ起き上がりマクベスの周りに群がる。まるでマクベスを呪う亡霊のようだ。その亡霊のうち三人が舞台上で不思議に踊る。瞳の部分だけが光り、なんとも不気味だ。ここで原作の冒頭の台詞に移る。魔女が魔物(男)に変更されているのもこのマクベスの大きな特徴であった。
そして物語は原作の通り、駆け抜けていくように進んでいく。

・登場人物について
マクベス夫人の第一印象は、やけに近代的でフェミニズムな雰囲気を感じ、この物語から浮いた印象を受けた。原作を読んで、マクベス夫人は夫を唆し王を殺させ、自らの地位を上げる為の悪女といったイメージであったのだが、丸山版マクベスにおけるマクベス夫人は、パンフレットにあったように、夫のために身を尽くそうとした結果、手段を選ばなくなり破滅していった女に見えた。その姿は非常に女性らしい姿であり、夫に王を殺させるという一見すると野心ある男性的な行動も、実は全てマクベスを想ってのことであったのではないかという推測もできる。

 

マクベスに仕える人物達というのも個性的で、それぞれに意思が働いて行動していっているので、この「マクベス」に生きる全ての人物にもストーリーがあるのだと感じた。(一度しか観劇できないので、この辺りは曖昧なのですが何度か観れたらマクベスの周辺にも感情移入することのできる余裕も生まれるのかなぁと思いました)

 

マクベスが没落していくにつれ、遠藤さん演じるマクダフの真っ直ぐな忠誠心が際立ち、この物語の中で秩序というものはあまりない印象を受けたのだが、マクダフを見ていると安心できる部分がありました。何より遠藤さんは安定感のある演技が素晴らしい役者さんでした。

 

マクベスについて
丸山さんの「マクベス」主演が決まったときにツイッターで流れてきた概要が「普通の男が、徐々に狂っていき殺人までも厭わないようになり破滅するストーリー」といったようなものを読んだので私のマクベスに対する印象はそれに依拠するものだったのですが、私の見た丸山さんのマクベスはまた少し違った表情をしていました。
まず、マクベスは非常に優しく繊細な男だということが丁寧に表現されていました。
また、マクベス夫人やマクベスが特に多用する「男」という言葉。これはマクベスが女性らしい繊細さを持つからこそ強調される言葉です。
マクベスが最初に王を殺しても尚、その呵責によって魔物は姿を消しません。(魔物=後悔の念によって生まれる。よってマクベスの優しさの象徴とも取れる)しかし、「王を殺す」ことで王の座を手に入れたマクベスの人格は、確実に破滅へと向かっていったのでした。
マクベスは柔和な男でありながら「王の座」に固執したために、その為なら何も厭わなかった。しかし、その度に虚妄に襲われ、病んでいく。
魔物から受け取った注射を打った後が大きなターニングポイントとなり、マクベスの心は変化し、破滅へと向かうスピードが更に増していきます。
最後の戦闘のシーンのマクベスは完全に殺すことに迷いはない目をしていました。正常な精神のマクベスによる戦闘のシーンが冒頭にあることで、クライマックスのシーンの戦闘でのマクベスの異常さが引き立つ。殺陣の刀の振り方一つとっても、トドメのさし方をとっても、違う人格になったようでした。

 

これだけでも複雑なマクベスの心境の変化があることが分かると思うのですが、それを台詞一行ずつ表情を変えて見事に繊細に表現してみせた丸山隆平さんが素晴らしかったです。


鈴木裕美さんがキャストの皆さんに「疾走感のあるマクベスに」と言ったように、駆け抜けるようにストーリーが進んでいきます。ぼーっとしていると置いていかれます。これだけの舞台をこの公演期間中、ときに1日2回演じる役者の皆さんは本当に凄いです。

 


私が観劇したのが6/30と幕が開けて間もないこともあり、ゆったりとしたシーンで少し台詞間違えなどがあったのですが、集中を切らすことなく休憩なし2時間30分。これがもっと進化したマクベスというのも見てみたいです。なにより、狂気というオーラに包まれた丸山さんが舞台上で座長を務めていることがただただ素晴らしかったです。
千秋楽まで、無事に走り続けられるように祈っています。

 

 

追記:(自己解釈諸々)

・物語序盤マクベスに感情移入していたが徐々に客観的に見れたのはシェイクスピアが意図したものなのか?

→物語5幕は戦況を伝えるマクベスの出演しないシーンが多い。物語の終盤ではマクベスの心は決まっていたため、状況だけが刻々と変化する様子が伝えられる。これが一種の客観性を生んだのではないだろうか。(敢えて感情同化させないように構成している原作に沿ったかたちをとったのではないか)

 

マクベスと夫人のラブシーンは必要なのか?

→繊細なマクベス、野心のある夫人は女性的な面と男性的な面をそれぞれ逆転して持っている。しかし、夫人はマクベスに同情し夢遊病となる。マクベスもまた、夫人のために手を汚し、病気の夫人を気遣う。夫妻の愛がお互いを狂わせ、破滅させたという解釈も可能であるので夫妻の間の愛情を視覚的に表現する必要があったのでは? また、そのような夫妻なのに、夫人の死を「あれもいつかは死ななければならなかった」と淡々と告げるマクベスの異常さを際立たせることもできる。

 

堂本剛さんを好きになってから、世界の色がほんの少し変わった話

つよしさんの誕生日のときから、つらつら考えていた、私にとってつよしさんはどんな存在なのか、改めて考えてみた。

例えば誰かに「あなたの担当は?」と聞かれると躊躇いもなく安田担と答えるだろう。つよしさんも担当と言ってしまえば担当だけど、なんだか腑に落ちない。それは私が掛け持ちに対して違和感を覚えるとかそういうわけでもなく、担当だとかそうでないとかの線引きは人によって曖昧なものだから、私のつよしさんへの応援スタンスに名前を付けようとするのはやめた。ただそれだけなのである。



いつ私がiPodに「ROSSO E AZZURRO」をインポートしたかは覚えていない。多分、中学生の頃ジャニーズのアルバムを近所のレンタルショップで借りれるだけ借りていた時期があったからきっとその頃からだと思う。安田くんの尊敬する先輩の音楽だから聴いておこう、確かそんな感じだったのではないか。このアルバムは私に聴かれることなく、ずっと眠り続けていた。



忘れもしない、高校2年の冬のある夜。私は暗い部屋に閉じ籠って、呼吸を整えていた。発作が起こったのに袋がなくて、このまま放っておいたらどうなるんだろう、どうなっても良いとすら思った。原因は家庭内の問題だったし、今となっては解決したことではあるが当時の私は、深く心に突き刺さった棘を抜く術はなく、止血をする術もなかった。あの日のことは、具体的に書くと精神的に苦しいので非常に抽象的ではあるけれどこれで許してほしい。

その夜に、私を救ってくれたのは「Panic Disorder」だった。
今まで不協和音としか思えなかったイントロが、そのときの心の色と重なった。

不意に襲う呼吸困難に
やつれた心はたくましく
力強く生きてる

この歌い出しに酷くドキッとした。

貧弱な魂は
孤独を自由と叫ぶ

ああ、闘わないといけないんだと思ったことは鮮明に記憶している。



それから沢山彼のことを調べた。こんな歌詞が書けたのは誰よりもつよしさんが闘っていたからだと知った。
眠れない夜も、朝焼けのピンクが美しいことを知った。永遠など存在しないからこそ、たった一度の人生を人は生きているということ。
でも、心の中にそっと叶う永遠もあるということ。
求めるより与えることで生まれる愛があるということ。
愛に溢れた優しい人だから、愛無き言葉に傷つけられて、それでも愛をすることを諦めない彼が好きだと思った。





あれから3回目の春を迎えた。今年の桜も美しかった。やっぱりつよしさんに担当といったようなラベルを貼ることは出来ない。どこまでも重いヲタクであるとは自覚している。
つよしさんが提示する、「僕なんかに依存しないでね」っていう言葉は、突き離しているようだけど、ずっと一緒に居られるためだと知っているよ。叶う永遠をつくるために。
遅ばせながらですが、堂本剛さん37歳おめでとうございました!