深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

アイドルと永遠哲学ー「担当」の定義について


アイドルを応援していると、ただ「好き」という感情だけでは成り行かない問題がある。

アイドルを人間として消費するファンという立場について考えたり、アイドルの結婚から彼らの人生について見つめてみたり。

 


最近、私が考えあぐねているのは「担当」という定義について。

「担当」ー それは、最もアイドルファンのそれぞれの"哲学"が垣間見える瞬間。

新しい担当がうまれたときの"沼落ちブログ"は、勢いのある熱量で綴られた「愛」の文章だ。一方で"担降りブログ"は、それぞれが担当に向き合い、担当の定義について考えつくした文章。

私は、これらの文章が大好きだ。ファン各々のアイドルに対する向き合い方を知れるからである。ひたすらに愛から生み出された文章はエネルギーに満ち溢れている。決して論理的ではないかもしれない、だけど「好き」の熱量は、人の心をうつ。

 


担当というのは、アイドル文化のなかで一般的ではなく、ジャニーズ特有の単語だと感じている。

同じような意味を持つ言葉のなかで、推しと担当では受ける印象が違う。

 


そのままの言葉の意味を辞書で調べると、

担当→になう、受け持つ

推し→すすめる

といった意味合いとなる。

 


「推し」は他者に自分の好きな人をすすめるようなニュアンス、「担当」は、他者は介在せず どちらかというと自己のなかで完結するような印象を受ける。

 


ただ、上記の解釈も、辞書的な言葉上での意味合いであるので、実際にこの定義を各々に落としこめるのかといえば一概にそうではない。

自己の中で完結する「担当」だからこそ、「推し」よりも複雑に各々の心の内に「担当」の定義・あり方が存在するように思う。

 


だから、一人の人を担当にするのも、複数人いるのも間違いではない。「担当」か「そうでないか」の違いというのは、結局、自分の中にある担当の定義の内で許容できるのか?という問題なんじゃないだろうか。


もう一つの視点を挙げるとするならば、経済的な問題だ。

アイドルを応援する、ということは経済活動と直結する。ここで言いたいのは、お金をつかわないで応援する在宅ファンを非難するわけではないこと。応援の仕方は様々あると私も思う。

ただ、アイドル活動というものはビジネスで、彼らを持続可能な存在として支援する形が《ファンクラブに入る、CD DVDを買う、コンサートにいく、グッズを買う》といった消費者としての行為なのは事実である。最近はYouTubeの再生回数をあげる、ということも加わったけれども、YouTubeも結局のところ、広告ビジネスなのである。

 


アイドルは経済活動と直結しているからこそ起こるのが、時間とお金の問題なのかな、と思う。

時間とお金は有限で、自分の中で優先順位をつけなければならない。その中で、自分のなかの担当制度を見つめ直す時間が必然的に必要となる。

 

私は、最近 特定のアイドルを担当と呼ぶことに抵抗が出てきた。

好きなアイドルが増えるにあたり、「担当」の言葉に含まれる「受け持つ」という意味合いが自分のなかで 重く感じるようになってきたからだ。

安くんも、つよしさんも、辰巳くんも、内くんも、佐野くんも、阿部ちゃんも、みんな素敵でかっこよくて最高のアイドルで、彼らの"いま"の姿を目に焼き付けておきたい人たちだ。好きなアイドルを、私は簡単に好きじゃなくなることなんてできない。だから、今とこれからを見ていたい人が、気がつくと増えていた。

愛は完全に等分することはできない。10年以上追いかけている人と、最近気になる人の間では歴史も、知識の量も違う。それはもう仕方がない。

アイドルはエンターテイメントだから、担いすぎて自分が重たくなってしんどくなってしまうのなら本末転倒だ。

だから、気ままに、私は私の「好き」を貫いていきたいなと考えている。

 


何かの縁あって、この文章を読んでくれているあなたも、誰かの決めた担当の定義に振り回されるのではなく、自分のなかで納得のいくように応援すればいい。なにかに押しつけられる必要も、誰かのつくった定義に苦しむ必要もない。

「担当」の定義ーこの答えを持っているのは私でもなく、友達でもなく、担当のあの子でもなく、あなたなのだ。

「担当」という制度は、ジャニーズアイドルファンにとって永遠の哲学だ。

ずっと"ともに"生きていくーKinKi Kids ThanKs 2 YOU

 

暗転した広いドームのなか、灯る赤と青のペンライト。大きなスクリーンに映し出される ツアータイトルの文字に、赤と青が螺旋を描く。高まる鼓動のなか、聴こえる神聖なピアノの旋律。待ちわびた、2年ぶりのKinKi Kidsのステージが幕を開けた。

 


KinKi Kidsのコンサートは、私にとって「特別」だ。堂本剛堂本光一として彼らは一年を通して沢山のステージに立っている。けれど、KinKi Kidsのコンサートは たったの4公演。

ほんとうは、本音を言うと、春でも夏でも秋でもふたりの姿を見たい。そうは言っても、KinKi Kidsに逢えるこの冬は、特別に心が踊るのだ。

開演前、会場の外では、コンサートを楽しみにドームへ向かうファンの姿。入場すると、30分、15分ごとにKinKi Kidsの楽曲に合わせて照明で彩られた噴水があがっていた。はじまる前から、期待がふくらんでいく。

 

 

1曲目は、「愛のかたまり」

2年ぶりのコンサートで、久しぶりに聴くことができる彼らの歌声。それがKinKi Kidsが合作した、彼らが大切にしている曲であるというのは、どんな言葉より伝わってくるものがある。KinKi Kidsはこの曲に、どこまでの物語を託していくのだろうか。魂が震えるように重くて、愛おしい音色だ。


ステージに立つふたりの出で立ちは、まるで異なっていた。王国の王子のような衣装で、長い裾をたなびかせて踊る光一さんと、「FUNK STAR」を具現化したようなエキセントリックな衣装でギターをかき鳴らす剛さん。

こんなにも違うのに、二人が同じステージに立つだけで、圧倒的にKinKi Kidsだった。

 


2曲目は、「The Red Light」

20周年のあの夏、ふたりで立てなかったステージ。そして、同じ年のあの冬、ふたりでステージに立つために選択した、全編オーケストラという構成上、歌えなかった曲。

ずっと聴きたかったけれど、この曲のパフォーマンスを聴けるのはもっと先だと思っていた。つよしさんの耳は、完治しておらず「後遺症」の状態とずっと付き合っていくしかない、と聞いていた。それはもう承知の上で、彼が無茶のない範囲で出来ること、そのエンターテインメントを楽しむことに決めていた。

でも、敢えてこの曲を2曲目に持ってきたというのは、「遠慮なくKinKi Kidsの音楽を楽しんでいいんだよ」というつよしさんからのメッセージのようで嬉しかった。


「Bonny Butterfly」〜「LOVE SICK」のメドレーもめちゃくちゃかっこよかった。

FUNKアレンジが効いたナンバーでつよしさんのギターが鳴き、光一さんが舞う。今まで彼らが完全にKinKi Kidsと隔離させていた、それぞれのソロワークで培われたエッセンスが、同じステージで繰り広げられていた。


トークになると、パフォーマンス時とは一転して、ゆるい空気感になるのも彼らの魅力。

「コンタクトを入れ忘れた」と、つよしさんがステージ上でコンタクトを入れ出す14日の東京公演。まだまだ喋り足りないと、時間が押してもなお次の話題へと行こうとする光一さんの姿が見られた15日の東京公演。中継もあり、巻き巻きで進める31日のカウントダウンコンサート。年のはじめよりも光一さんのお誕生日を祝う1日公演。めちゃくちゃ笑わせてもらいました。


「たよりにしてまっせ」からはじまるJr.当時に歌っていた曲やデビュー初期の曲メドレーもよかった。

「買物ブギー」をあんなにかっこよく踊れるのは、世界に堂本光一ただ一人だと思う。そして、今回つよしさんが書き下ろしたFUNK「KANZAI BOYA」。ジャニーさんへの愛を笑いに昇華する音楽は、まさに哀しみを音に変えるFUNKの本質そのものだった。

KinKi Kidsがひたすらにオモチャ(台詞を録音したサンプラー)で遊んでいる「ボーダーライン」。お互いの若き日の声をつかって遊んで、ふたりが笑い合う姿は"世界平和"と言う他なかった。


そこから怒涛の合作メドレー。

KinKi Kidsの楽曲提供された曲は、勿論名曲が揃っている。けれど、ふたりが自分自身の手で手がけた曲は、いちばん彼らの声質に合っているような気がする。つよしさんが光一さんに歌わせたい歌詞と、光一さんがつよしさんがどう歌うか想像して作った旋律。言葉を尽して語るよりも、ただただ「美しい」としか言いようがない世界がドームに乱反射していた。


2019年に亡くなられたジャニーさんを想って選曲された曲が多いという今回のセットリスト。本編中もふいに、ジャニーさんを想うような歌詞が出てくることがあった。そのとき彼らは、そっと想いを湛えたような表情をしていた。

ジャニーさんへの愛、それがきっといまのふたりを繋いでいるのだと感じられた。

 

 

アンコールで最期に歌われた「YOU...」

ジャニーズ伝説のためにつよしさんが書き下ろした曲の、歌詞違い。つよしさん曰く、ジャニーさんが亡くなって、彼が火を浴びた瞬間の、「あの日に生まれた僕たち2人の友情の物語」を描いた歌詞。

 

君が涙をはじめて見せてくれた

気づかないふり できなかった

どんな人にも悲しみが流れてる

背中を掌で撫でた


光一さんがはじめて見せた涙の描写からはじまるこの曲。ファンが一生知ることのできないような、KinKi Kidsの大切な部分を、そっと触れさせてくれたような気分だ。この二人は、これまでどんなに同じ景色を見て、同じ感情を分け合って生きてきたのだろう。想像すると、愛おしくて泣きたくなる。


元旦公演で、光一さんが言った「これからもジャニーさんとともに、そして剛くんとともに 生きていければいいなと改めてそう思っています」という言葉。

私は、いまの彼らがステージ上で発した、この言葉がすべてだと思う。

40歳をこえて、アイドルであり続けること。私たちが想像できるような、決して容易いことではないのだろう。

だけど、ふたりがKinKi Kidsとして在るということに前向きで、20周年を超えた いま、新しい表現が生まれること。それは奇跡のようなことだ。

その奇跡を、現実のものとして目の当たりにできることはなんて素敵なことなんだろう。

ふたりがともに生きる、これからの景色をずっと見ていたい。

2019年を振り返る

今年も もう終わりに近づいてきたので、(まだ 現場納め 兼 現場はじめの、KinKi Kidsカウントダウンコンサートが残ってはいるのですが) 一年を振り返ることにしました。現場記録と、自分自身の記録も少しだけ。

 


1月 現場なし

去年の今頃はまだ学生だったんですよね…(この1年が怒涛すぎて忘れかけてたけど)

1月といえば例年、年末年始にKinKiコンがあるのですが、2018年から2019年にかけてのドームコンサートは中止となってしまったので、久々に現場のない月となりました。

 


2月

・2/16 Endless SHOCK @帝国劇場

内くんの演じるライバル役は これまでに何度も観たことがあるけれど、2019年のウチは特別だった。ライバル役としての悲哀、コウイチへの想い、どこか鬼気迫るものがあって帝劇の観客をぐっと引き込む演技でした。物語も歌唱シーンが増えて、より登場人物の心情がシンプルに分かりやすくなった印象でした。

・2/17 紫苑物語 @新国立劇場 オペラパレス

世界初上演のオリジナルオペラ公演。石川淳原作の、平安時代を描いた物語。平安貴族がオペラで描かれるのは、かなり斬新でした。狐憑き、陰陽といったものは平安時代に自然に信じられていたものでありながら現代から見れば空想的で、引き込まれる物語と音楽でした。

・2/18 マニアック @新国立劇場 中劇場

新国立劇場をホール違いで連日通う、というのは私ぐらいなんじゃないかな、と思いながらのマニアック観劇。これは映像にしてしまうと、いろんな意味でNGをくらいそうな、タブーを軽やかに詰めこんだ作品。痛快に下品な作品をアイドルが主演を務めるというパラドックスが面白かった。

 


3月 現場なし

卒業旅行が本当に楽しかった。南フランスのアンティーブという港町と、スペインのバルセロナ、そしてもう一度南フランスのニースに戻ってモナコ…という旅程でした。南フランスでは、のどかな街の雰囲気と印象派作家の美術作品を存分に楽しんで、スペインはガウディの建築群を回ったり、サグラダファミリアに登ったり。就職したら暫く行けないようなところで心の充電をする!という旅行目的が果たせて満足でした。

 


4月 現場なし

新入社員研修で1ヶ月弱ほど東京に滞在。慣れない生活で体調を崩したりと大変な月でした。休みの日にフォロワーさんとご飯に行ったのが唯一の楽しかったエピソードかもしれない…。

 


5月 現場なし

関西に戻ってきて一人暮らしをはじめる。大学時代は祖母宅に下宿していたのですが、生活習慣の違い等でストレスを抱えることも多かったので、めちゃくちゃ気楽になりました。

 


6月

・6/1 THE YOUNG LOVE DISCOTIQUE @品川プリンスホテル クラブex

前年のDISCOTIQUEをフォロワーさんに誘ってもらって、めちゃくちゃ楽しかったので「もし再演があれば絶対に行きたい!」と言っていたところにまた再演が決定し、迷わず「行こ!」となった作品。クラブexの距離感がめちゃくちゃ近く、音楽を聴いて楽しい、屋良くんのダンスに圧倒され…ほんとうに大好きなエンターテイメントです。

・6/2 BACK BEAT @東京芸術劇場プレイハウス

私をえびコンにいつも誘ってくれるフォロワーさんと連番。ビートルズの結成初期を描いた作品で、バンドの生演奏が迫力があってよかった。戸塚くんの繊細ながらも感情をぶつけるような演技、よかったなぁ。辰巳くんは溢れ出る弟感…というか、17歳の少年を30歳越えて自然と再現できるのが流石でした。

・6/22 いくじなし @新歌舞伎座

フォロワーさんに誘われて、室くんを観に行った作品。松平健さん、川中美幸さん、中村玉緒さん…といつもテレビ越しに観たことのなかった人たちを生で見て、いつもとは違う観客の客層も違和感があって面白かった。マツケンサンバでペンライトを振る日が来るなんて人生で思わなかったな……。室くんのショータイムでのソロ曲、「アンダルシア」と「君を想うとき」よかったなぁ。

 


7月

・7/20,21 十五祭 @名古屋ドーム

名古屋公演は十五祭だけのつもりだったのですが、入ってみるとあまりにも良い公演で。無理矢理日程を増やせるのなら21日しかない…ということで、チケットを必死に探しながら、既に予約していた夜行バスで一度帰宅してから数時間後には再び名古屋に向かっていました。今考えると中々クレイジー

・7/27 イン・ザ・プール @滝野文化会館

中学生の頃、ここで吹奏楽部の演奏をした思い入れのある会場。ここで内くんが観られるなんて、このステージに立っていた頃の私に伝えても、きっと信じないだろうな。渡辺徹さんと内くんの二人舞台で、ふたりが楽しんで演じているのが伝わってきました。

・7/28 十五祭 @京セラドーム

十五祭は、私にとって永遠に覚めないでいてほしい夢のような空間でした。みんなで乾杯した大阪公演、楽しかったなぁ。

 


8月

8/3 十五祭 @福岡ヤフオク!ドーム

ここまでの十五祭の感想はこちらから。

終わらない夏はないし枯れない花はない、けれど - 深海魚

お盆休みは従姉妹と台湾旅行に。

エイトの台湾コンで知り合った台湾エイターさんと再会して火鍋を食べました。ジャニーズ話に花を咲かせながら、やっぱりヲタクは国境を越えるな…などと思いました。淡水や夜市、エイトがパンフレット撮影した四四南村、雑貨屋巡りと盛りだくさんな夏休み旅行でした。

そして映画「少年たち」の追悼上映にも行きました。根っからのジャニヲタなので、「考えるよりも感じろ」なジャニーズエンターテイメントにぶん殴られるの、嫌いじゃないんですよね。(寧ろ大好物)なので、最後のショーシーンはちょっと泣きそうになってしまった。

 


9月 

関ジャニ∞が5人になると発表された。あの時の私の気持ちはこちらの記事から。

2019年9月5日/関ジャニ∞と彼らを愛する人に宛てたなぐり書き - 深海魚

・9/15 堂本剛2019平安神宮ライブ @平安神宮

噴水の水の尖に炎が燃えている演出がいまだに不思議。空にひかる満月もまるで演出の一部のようで、天と神へ祈るような歌声と、虫の声と涼やかな秋の風が心地よかったライブでした。

・9/16 ブラックorホワイト? あなたの上司、訴えます! @森ノ宮ピロティホール

内くんのキュートな部分をたくさん堪能できた舞台。座長の佐藤アツヒロさんもかっこよかった!コメディの中に 色んな立場の人から見る「働き方」の価値観が感じられて、社会人になった いま、この作品と出会えてよかったと思いました。

 

 

10月
・10/6 YUMA UCHIDA 1st LIVE TOUR 「OVER THE HORIZON」@日本特殊陶業市民会館

従姉妹の推しである声優の内田雄馬さん。従姉妹との台湾旅行のときにダイマされ、まんまと名古屋まで行っちゃいました。(名古屋は近所だと思っているジャニヲタ、軽率に遠征する)キュートなお顔とは裏腹に えげつない声量と、アイドルコンサートかな?と思うくらいの甘いセリフ。あとシンプルにお顔が私のタイプ。内田雄馬さんを日本全国民は保護するべきだな…と割と真面目に思ってる。

 

 

11月
・11/4,11/9,11/10 忘れてもらえないの歌 @オリックス劇場

感想はこちら。

セピア色の思い出と忘却の音楽 ー「忘れてもらえないの歌」感想文 - 深海魚

・11/23 内博貴 Winter Paradise 〜ふゆパラ〜 @東京グローブ座

感想はこちら。

君がくれた贈り物。ピンクのペンライトの一等美しい景色 ーWinter Paradise〜ふゆパラ〜内博貴公演 - 深海魚

・11/24 放課後の厨房男子 リターンマッチは恋の味篇 @松下IMPホール

最前列で正直あんまり内容が頭に入っていないのですが、高校生のふぉ〜ゆ〜ははちゃめちゃに可愛かった。何も考えずにポップに楽しめる舞台、というのもいいですね。

・11/27 錦戸亮 LIVE TOUR 2019 "NOMAD" @なんばHatch

チケットのご縁があって、仕事終わりに駆け込んだNOMAD。まだ自分の中で完全に感情が消化されている訳でもない状況で、いまの錦戸亮を見に行くことに躊躇いも正直あった。でも、行ったことに後悔はない。自分の中で、「ジャニーズ事務所所属 錦戸亮」に踏ん切りをつけるキッカケとはなったから。ずっと好きだった亮ちゃんを急に嫌いになんてなれるわけないし、でも 亮ちゃんと見たかった夢はもう叶わないんだな、ということを目の当たりにさせられたようなLIVEでした。

 

 

12月
・12/14,15 ThanKs 2 YOU KinKi Kids Concert Tour 2019-2020 @東京ドーム

去年のドームコンサートが休止になり、2年ぶりのKinKi Kidsコンサート。ふたりがステージに立てば、それだけでKinKi Kidsの世界が広がるのだなというのを見せつけられたコンサートでした。そして今年のMCはめちゃくちゃ喋る。KinKi Kidsが楽しそうだと、私たちも楽しい。そんなことを実感できるコンサートでした。まだ京セラドーム公演があるので、それが終わったら記事にしたいな。


・12/21 ENTA!2 @Zepp Namba OSAKA

ふぉ〜ゆ〜の歌ありダンスありトークありコントありのエンターテイメントショー。新曲2曲とも大人の色気が溢れていてかっこよかった。ファンが揃ってビールなどのアルコール片手に観られるのもめっちゃ楽しい。ゲストは松本伊代さん。センチメンタル・ジャーニーを登場時に歌ってくださったのだけど、その際に即興バックダンスをするふぉ〜ゆ〜がプロの仕事人で最高すぎた。


・12/31-1/1 ThanKs 2 YOU KinKi Kids Concert Tour 2019-2020 @京セラドーム

 


一年を振り返って、現場数 25(うちジャニーズ現場23、ジャニーズ以外2)でした。社会人になって、行く回数が減るかと思いきや、大学生の頃と全く同じペースで行ってましたね…。


今年の現場を総じて振り返ると「続けていると夢は叶ったり叶わなかったりする」んだな、ということを実感した一年だったと思う。

安くんの主演舞台が2本もあったこと。夢のように楽しかった十五祭。そこでピンクのペンライトを振ることができたこと。そしてそのオーラスに亮ちゃんが内くんを呼んで、内くんが東京ドームに行ったこと。内くんが十五祭を観たことがきっかけに、「大阪ロマネスク」をソロライブで披露してくれたこと。叶うはずのない景色を沢山見させてもらった。

亮ちゃんの脱退は、やっぱり現実をまざまざと見せつけられて、アイドルとの向き合い方を考え直させられるきっかけとなった。

 2020年、どんな景色が見られるかな。私の大好きな人たちは、どんなところに連れてってくれるかな。


個人的な来年の抱負としては、ジャニーズ外のミュージカルも観劇したいし、オペラもタイミングがあれば観に行きたい。 

エンターテイメントは心の栄養素だと思っているので、自分の楽しめる範囲内とペースで楽しんでいければと思っている。

関ジャニ∞「友よ」は最高だろう?だからファンをやめられないんだろう

関ジャニ∞「友よ」を購入した。2019年で最高の買い物だったと言っても過言ではない、このニューシングル。なんといっても収録曲が本当に良い。めちゃめちゃに良い。

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表題曲「友よ」

 

「なぁ友よ」「人生って最高だろう?」


この曲は、関ジャニ∞から聴く人へ、歌詞が言葉となって投げ掛けられる。

それは、励ましでも応援でもない。そんな押し付けがましい目線で語られるものなんかじゃなくて、何処までも聴く人と同じ目線で語られる 苦悩と信念の歌詞だ。それは、泥まみれになりながら もがく関ジャニ∞自身から発された"覚悟"そのものなのだ。

アイドルらしいキラキラとした輝きは この曲には無いかもしれない。けれどこの曲には「夢」と「愛」と「憧れ」がある。強い覚悟の中、希望に満ちたひかりがこの曲には差している。


ちょっと古くさいような、泥くさいような、そんな曲調の曲ではあるが、

「古き良き時代はとうに過ぎ」

「たかだか一画面くらいの文字数で人を簡単に定義するな」

「答えなき時代」

「友よ」で描かれるのは、時代に取り残されて喚く男の姿ではなく、令和の、この"今"という時代を生きる人の姿だ。

 

この身に変えてでも守りたいものは

1円にもならない“信念”てやつだったりするんだよ

この曲の中で強調されるのは「信念」や「覚悟」だ。このような主体的な想いが楽曲として表現されるなか 「なぁ友よ」と、突然に第三者である「友」に投げ掛けられる。

これは、この「覚悟」や「信念」が独りよがりのものではないことを示しているかのようである。またこの問いかけは ファンへ 聴く人へ、直接語りかけるように働くのだ。


泥くさい音楽は、関ジャニ∞の専売特許だと思う。けれども それは、すばるくんの大声で叫ぶような歌声があるから、亮ちゃんのハスキーなエモーショナルな歌声があるから、為せる技だと私は今まで思っていた。

けれど、彼らは5人で表現しきったのだ。綺麗だけじゃない生々しい荒削りな音楽、それは関ジャニ∞がこれまで培ってきた音楽性そのものだった。人数が変わろうと、その魂は変わることなく関ジャニ∞に受け継がれていくものなのだ。

 

 

大倉忠義作詞・安田章大作曲「My Story


動き続ける時計の針の音は、戻ることのない刻を示しているようで。

 

歌詞で特徴的なのは「〜したね」「〜だね」と、多用される終助詞の「ね」。

この「ね」を使うと、一段と話し言葉のように聞こえてくる。また、「ね」は、相手に同意を求めるときの言葉でもある。歌っている人だけで完結するのではなく、特定の"誰か"に向けているような言葉であるのだ。

 

それぞれのメンバーをイメージしたという歌詞は、テレビでよく見るようなオフィシャルなイメージではない。紹介ソングのような意味合いとは大きく異なっていて、どこか、ドキュメンタリーで見るような関ジャニ∞のありのままの姿だというのも、大倉さんの想いが伝わってくる。

 

私が一番好きな歌詞は、

幸せの定義なんて それぞれだけど

それでも 今 僕らはここにいる

僕たちは"幸せの定義"に当て嵌められる、と明言していないところがなんともリアリティに溢れていると思う。

それぞれの"幸せ"の形がある中で、今の自分たちが『続けること』を選んでここにいることを肯定するような歌詞で、ぐっときてしまう。

 

夢を見て過ごした

思い描いた未来とは少し違っても

今まで過ごしてきた時間に嘘はない

はしゃいで転んで笑って泣いて

泥だらけの僕らの物語(ストーリー)


もう、この歌詞がいまの関ジャニ∞をあらわす全てなんじゃないかって思う。

今までを決して否定せず、これまで描かれてきた関ジャニ∞の物語はこれからも続くこと。

決して運命を悲観する訳でもなく、安くんが語ったように関ジャニ∞ロードムービーのような曲。これまでと、いまと、これからを、そっと波音が連れてきてくれるような歌だ。

いつかこの曲を、ライブ会場で「また会えたね」って互いに確かめながら聴いてみたい。

 


USJ ハリドリBGM曲「Faaaaall In Love」


関ジャニ∞が歌う、ジェットコースターをテーマにした曲といえば「ローリング・コースター」だ。ローリング・コースターでは"僕"が想いを寄せる相手である"君"に、ジェットコースターのように心が振り回される曲である。

「ローリング・コースター」が収録されたPUZZLEが発売されてから10年。

「Faaaaall In Love」では、ジェットコースターのように加速する恋を楽しみなら、"僕"が"君"を守る余裕さえあるような描写がなされている。ちょっとヘタレな、想い人に振り回されるダメ男を描かれがちな関ジャニ∞の歌ですが、こんなにも頼もしい男性が描かれると、キュンとしてしまう。


曲の疾走感に、恋をジェットコースターに見立てた歌詞。

加速感のある歌詞なのに、Dメロ部分で


君の笑顔がスローに見える

今までしてきた恋は全部

恋に似た別のもの そんな気がするほど

高鳴る鼓動を抱いて いま落ちていく

とあえて減速した場面を歌うのがズルい。

ジェットコースターの頂上から落ちる瞬間って、確かにスローに見えるよなぁ、と思い出すのと同時に、恋に落ちた瞬間、世界がスローモーションになったかのような描写が重なり合う。


曲のタイトルも、"恋に落ちる"を意味する"fall in love"と関ジャニ∞ 5人の"a" 、そしてaを重ねることでジェットコースターで叫ぶ声や勢いよく落ちるような感覚をもたられしてくれるような。ダブルミーニングにとどまらずトリプルミーニングあるような、お洒落さがある。

 

「友よ」「My Story」「Faaaaall ln Love」個性的ながらも、それぞれが"今"の関ジャニ∞らしさを映した名曲たちだ。

関ジャニ∞ 5人の門出にふさわしい、最高の円盤だ。

 

君が見る時代に 惜しみない愛を

関ジャニ∞は「友よ」で、こうやって歌ってくれるけれど、私も関ジャニ∞が目に映す世界が愛で満ち足りるように、惜しみない愛を届けたいと思う。

 

まだまだ、沢山の人の手に届いてほしい曲たちなので、興味のある方は下記リンクからポチっと購入お願いします。(この宣伝をしたいがための記事でした!)

 

友よ (通常盤)

友よ (通常盤)

  • アーティスト:関ジャニ∞
  • 出版社/メーカー: インフィニティ・レコーズ
  • 発売日: 2019/11/27
  • メディア: CD
 

 

 



 

君がくれた贈り物。ピンクのペンライトの一等美しい景色 ーWinter Paradise〜ふゆパラ〜内博貴公演

 

目の前いっぱいに広がるピンクのペンライトの海に、「大阪ロマネスク」を優しく柔らかく歌い上げる内くん。

目の前に広がっている光景が夢のようで、今でもまだ信じられないほど。


Winter Paradise〜ふゆパラ〜内博貴公演


11月23日の昼夜に参加しました。

今回はグッズが発表されたときから、期待が高まっていました。

ジャンボうちわなんて出るの何年ぶり…?もしかして、内くんのライブでピンクのペンライトを公式で振れるかもしれないの…?

ドキドキしながら会場入りして、グッズを無事に購入して、自分の座席につきました。

 


音合わせのようなオープニング。

まずはスタッフさんが順にマイクチェックをして、バンメンの小川くん、矢花くん、石垣くん、雑賀さんが音出し。

「内さん入りまーす」というスタッフさんの声に合わせて、内くんが登場。

その瞬間、光量の強い、ピンクのペンライトで染まる会場。

OPは「Crave it」元々はダンスナンバーだけど、思いっきりロックなアレンジで「このままの俺じゃRockなんて言えない」と歌い上げるところがニクい。


2年前の内パラで初披露された「0の誓い」は、内博貴ライブツアー再出発の誓いの歌だ、と私は思っている。

内くんが「ライブをやりたい」という夢を諦めないでいてくれること。それを何もない出発点、そして"0(ゼロ)"という舞台の立ち位置の一番真ん中に誓うと歌い上げる内くんがあまりにも眩しかった。


「3ピース」「僕らの声〜願いを込めて〜」「FROZEN SKY」は内Q?のときの曲。

あの頃、もう一度バンドとして再出発する夢をみていたこと。それが立ち消えて、「やりたいことは特にない」なんて言っていた内くんが、もう一度「バンドのボーカルとしてライブをやりたい」と夢を語ってくれるようになったこと。内くんを支えるように石垣くんがキーボードを弾いてハモってくれること。歌を聴きながら、こんな今があってよかったね…と思わずにはいられなかったのだ。


「Let's go!Let's go!」

君の願い事 全部叶えてあげるよ

なんて、大好きなアイドルに歌われて、嬉しくない訳がない。

V.WESTのときの曲は他にも「愛って?」「Belive my story」が歌われたのだけれど、そのどれもがなんねんたっても変わらずにキラキラしていて、ああ、内くんが大好きだなぁとシンプルに再実感した。

 


30歳をこえて、更に色気が増した「Master Key」の破壊力は凄まじかった。そして新曲の「PASSWORD」は、ロックナンバーにカラダを揺らして、色気に蓋をしない内くんを感じられた。間奏中の吐息に、体温が5度くらい上がった気がする。


「Hi!Hi!Hirocky!」は、好きなだけ内くんの名前を叫べて、内くんのライブに来ていることの楽しさを爆発させられる曲。


「今、此処に」

今、此処に 君が そう在るということ

それは奇跡と呼べるんだ

内くんがステージの真ん中で今この瞬間、歌ってくれること。そして、目の前に広がるピンクのペンライトの海。この光景は、"奇跡"と名付けるのにふさわしかった。


ゲネプロ後のインタビューで「いろいろなことがあって、今まで歌ってきた曲をいい感じに織り交ぜながら、つくったので実はきょう、披露していない曲もあるんです」「自分のストーリーじゃないですけど十代の頃から33歳の頃の俺をぎゅっと集めたなというセットリストにしました」と語った言葉がこのことだったのか、と実感したのが「虹色の空へ」と「大阪ロマネスク」。


「虹色の空へ」は、かつて内くんが関ジャニ∞とファンを想ってつくった曲だ。

あの時から関ジャニ∞も、内くんも、ずいぶんと遠いところまで歩いてきた。関ジャニ∞も人数や体制が変わって、内くんもひとりで沢山のステージをこなしてきた。でも、内くんの中には、変わらずに「ありがとう」の気持ちがあるのだろうな。

内くんを照らす、虹色に光る照明がとても綺麗だった。


そして、ラストは「大阪ロマネスク」

まさかこの曲を歌う内くんを見られるなんて思ってもいなかった。

8人の頃には歌っていたけれど、形には残っていなくて、言葉通り"幻"だった内くんが歌う「大阪ロマネスク」。

内くんの歌い出しを聴いた瞬間、勝手に涙が溢れてきて止まらなかった。

内くんの甘く柔らかい歌声が、「大阪ロマネスク」にぴったりで、そして丁寧に大切にこの曲を歌い上げる姿に、想いがこみ上げる。ミラーボールにピンクの照明が乱反射する会場、内くんに向かうピンクのペンライトの海。涙が流れていても、サビでは、勝手に身体が動いてしまう。「御堂筋から」のところで一緒に手をひらひらする内くんに、また泣けて。


私は、内くんを応援するのと同時に関ジャニ∞のファンでもあるけれど、これまで、内くんの活動と関ジャニ∞の活動は、切り離して応援してきた。違う道を歩む彼らにとって、それが誠意だと思っていたからだ。本音を言うと、内くんがもう一度同じステージに立つ姿を考えることもあったけれど、本人の意思も分からなかったし、"考える"ことさえ、いつしか疲弊していたから、考えないようにしていた。

 

スカパラさんが、すばるくんが抜けて再出発した関ジャニ∞に送ってくれた「メモリーバンド」の歌詞の中にある、

ぼくら人生のステージの上には

いつだって全員で並んでいる

というフレーズ。

関ジャニ∞「十五祭」は、まさにこの歌詞のように、8人も7人も6人の今も、自分たちの歴史としてショーアップしたコンサートだった。

亮ちゃんに呼ばれて、そのオーラスに参加した内くん。関ジャニ∞の歴史に残る自分の姿に、彼は何を思っただろう。

そして、今回の「大阪ロマネスク」。

関ジャニ∞の歴史に「内博貴」の名前があるように、内博貴の歴史には「関ジャニ∞」の名前が残っている。

それは、誰にも覆せない"事実"で、関ジャニ∞内博貴が歩んできた道のりなのだ。

内くんが歌う、大阪ロマネスクをいつまでも聴いていたくて。ピンクに染まる、この景色をいつまでも見ていたくて。

私がいつかアイドルを応援することを辞める日がきたとしても、この景色と内くんの歌声、そしてこの感情はずっと忘れられないだろうと思った。

 

しんみり涙では終わらせてくれないのが内博貴

アンコールは新曲「満月〜ムーンライト〜」「好きなだけToday」

新曲は、明るい応援歌のような曲。

「今日の日にThank you goodbye」というフレーズがアンコールにぴったりだなって思った。

「やっぱこの曲、好きなんやろ〜〜???」って内くんに煽られながら盛り上がる「好きなだけToday」。

全力でC&Rしながら、ペンライトを振り回すのが最高に最高に楽しい。

 


内くんと、内くんが大好きな人たちで作り上げる、幸せな空間。

それがWinter Paradise〜ふゆパラ〜だった。

いままで本当に色々あったけれど、こんなにも温かい空間で、ファンが盛り上がるたびに楽しそうに笑う内くんがいる今があってよかった。

内くんがこのライブでファンに見せたかったもの、それは彼からの何よりのプレゼントだった。

そして、ファンから内くんに贈ったピンクのペンライトの海が、彼へのプレゼントになればいいな。

 

今までも、いまも、これからも。

内博貴関ジャニ∞を好きになってよかった、と思える瞬間を積み重ねられるように、これからも応援していく。

 

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セピア色の思い出と忘却の音楽 ー「忘れてもらえないの歌」感想文

「忘れてもらえないの歌」の大阪公演を観劇してきました。感想文を書こうと思いながらも二週間が経って、観劇した直後は鮮明だった記憶が少しずつ朧げになってきました。(単純に私の記憶力の問題でもあるけど)

でも、あまり鮮明すぎる記憶の中では、うまく自分の中で言葉に変換することができなかったから、「忘れてもらえないの歌」で、忘れられなかったことを、感想文として綴って行こうと思う。

 


「忘れてもらえないの歌」は、ずっしりと重い舞台でした。

それは、戦中から戦後という混沌とも呼べる時代のなか生き抜いた人たちの物語であること。そして、これはきっと切り離して考えるべきなんだけれど、関ジャニ∞が5人になったという最中に、バンドを組むも方向性の違いでバラバラになって苦しむ主人公の姿や感情と対峙しなければならなかったこと。


バンドメンバーを「仲間とは言えない」と、記者に告げた滝野くん。

その滝野くんと、「関ジャニ∞ 安田章大」は全くの別人で、同一視することはできない。

けれど、滝野くんが安くんの身体から発される言葉と感情であるということに間違いはないから、時々苦しくなってしまった。


滝野くんは「空笑い」をするキャラクターだ。

周りの空気を壊したくないから、自分の気持ちが例え辛くても哀しくても、笑う。彼の精神的なアンバランスさや、危うさを際立たせる印象的な滝野くんの「癖」だ。

一人では取り繕う必要がないから、一人の場面ではあまり笑わない滝野くん。ただ、最後のシーンでひとりきりで笑う滝野くんは、諦念・歌が"忘れてもらえない歌"になったことへの感傷・哀しみ苦しみ これらの感情の全てが入り混じっているかのように思えた。あまりにも辛い時に、笑うことで誤魔化す以外 分からないときの感情の発露のようでもあって、ひどく切なかった。


二幕の冒頭で、稲荷が見る「夢の夢」のシーンがある。もしも戦争が起こらなかったとしたら 叶うはずだった"それぞれの夢"を 眠るときの"夢"で見るシーンだ。滝野くんにとって床屋は、夢ではなく、お金を稼ぐための手段だった。現に、台詞の中でも 麻子ちゃんが教師になることを、稲荷くんが作家として生計を立てることを、良仲くんがピアニストになることを「夢でした」と言う中で、1人だけ「夢なんかじゃないですよ〜」と、夢を否定するのが滝野くんだった。

そんな滝野くんは、Tokyo Wonderful Flyの"仲間"からは音楽は彼がお金を得るための手段と見做されていた。現に、バンドをはじめるきっかけや、最初の頃はそうだったかもしれない。

ただ、戦況が悪くなっても音楽の近くにいて、最後の日もカフェガルボに赴き、苦境のなかでも歌い、新たな音楽性を模索しようとし、音楽で生計を立てられるように工面し、ひとりでかつての音楽仲間をガルボで待つ、そんな滝野さんの姿は「音楽好き」に他ならない。


「忘れてもらえないの歌」は戦中から戦後のジャズバンドを描いた物語だ。

戦前、日本においてジャズは踊るための音楽だった。一幕の冒頭のダンスホールのシーンのように。そして劇中にも描かれたように、ダンスホールが禁止され、戦争が激しくなると、敵性音楽であるジャズ自体が禁止となってしまった。しかし、それでもジャズを愛する人々に流れる、"心の中の音楽"は鳴り止むことがなかった。

いくら法で規制しようとも、人々の心までは規制できないのではないか。

空襲の日に必死にレコードを守ろうとした良仲くんの姿や、赤紙(招集令状)を持ってガルボを訪れ、最後にレコードを聴こうとした稲荷くんの姿からも、私はそう、感じさせられた。

 

音楽と演劇は、その場にとどめることの出来ない芸術だ。発された瞬間には消えてしまう、そんな芸術。

だけど、音楽と「記憶」は脳の仕組みの中で、不思議と強く結びつけられているのだと、ある論文には書かれてあった。

人は、過去に聴いた音楽を聴いた時に、その時の感情や温度、匂いなんかを思い出す。

文字や絵画にはない この特徴は、すぐに消えてしまう音楽を「忘れたくない」と人が無意識下で思うから、自然とそういう風になっていったんじゃないかと 私は思う。

だから、最高の音楽と演劇は、いつも思い出の中にある。

記憶に残したいと、強く願うことで記憶の中に留まりつづける。あるいは、心を動かされたものというのは、例えその詳細を忘れたとしても、その破片が心の中に残っているものなのだと思う。

 

思い出といえば、麻子ちゃんの

「なんだってセピア色で、古いジャズでも流せば いい出来事だったと勘違いできるから

という台詞がある。

「悲しいことに、人生は振り返る時のみが楽しみだから」という泥棒屋の台詞と重ねると、「思い出」は些細な悲しみを忘れて、振り返ってみるとといい出来事のように思えるものだから、早く現実を諦めて「思い出」にする方がいいよ、というようなニュアンスに感じ取れる。

記憶に残る音楽を残したい滝野くんが生きる"現実"は仲間からは拒絶され、皮肉にも「思い出」に生きることを勧められるのだ。

 

「忘れてもらえないの歌」で描かれる登場人物にとっての"現実"は、物語のなかで大きく変化する。

「なりたいものになれなかったことを、戦争のせいにできてよかったね。」

このホオズキの言葉がこの物語の登場人物全員にも当てはまるように感じた。

 

"時代"を言い訳に、現実と向き合おうとしない姿が描かれる一方、物語の流れが大きく変容したのが、屋上のシーンの麻子ちゃんの独白だと思う。

「時代のせいにしないでくれる?あたし全部、自分で決めたことだから。」「私、選んだの」「誰かや時代にそうさせられたなんて思ってない!」

麻子ちゃんの叫ぶ言葉は、"戦争のせい"で今の生活を選んでいるというメンバーの心に引っかかる言葉だったんじゃないかと思う。


このトリガーで、それぞれが自分の現実と向き合い、それぞれの未来を選んだ。

滝野くんは、その場に留まったかのように思えて、仲間と音楽を楽しむ未来を選んだ。

ただ、仲間は誰もそれを選ばなかった。そして、滝野くんは孤独になったのだ。


この物語は、誰かが救われるようなハッピーな結末を迎えるわけではない。

「忘れてもらえないの歌」は、陽の目を浴びず、人々に忘れてすらもらえなかった歌の物語だ。ただ、その中でレディ・カモンテが「忘れてあげる」と言った言葉は、きっと滝野くんの唯一の"救い"だったのだろうと思う。

もう二度とまったく同じ形では見ることのできない「音楽」と「演劇」。

それを「忘れたくない」と強く願う観客の心のなかでは、記憶として残りつづけることができる。

そして、「忘れてもらえないの歌」という作品を忘れてあげられる作品にすることができるのは、この目でこの作品を見た私たちだけなのだ。

 

滝野くんの「夜は墨染め」に対する哀しみを、「忘れてもらえないの歌」を忘れない、あるいは忘れてあげるということで、私たちは滝野亘という人物の心を救いたい、のかもしれない。

「蒼写真」考 -「少年」と3つの"あお"

関ジャニ∞の歌詞が美しい曲を選べ、と言われたら「蒼写真」は私の中で三本の指に入るほどに美しい歌詞の曲だと思う。

「大阪ロマネスク」「クジラとペンギン」に続いて第三弾。今回も同様に「蒼写真」の歌詞について自由に自己解釈を述べていきます。

 


登場人物/時代考証

 

この歌に登場するのは少年、僕、君である。

笑いかける君は僕になって

という歌詞にあるように(少年時代の)君=僕である。

二人称の"君"と一人称の"僕"を同一視することで、客観視的視点をもたらしているのだ。

また、この曲の中で「僕」は、回想しているように少年を見つめている。つまり君=少年でもある。

少年のころを「あの日」と形容する「僕」は、その頃より時間が経って 大人になっているのだ。

つまり、蒼写真は「少年」=「君」=「僕」で、「少年」=「君」を大人になった「僕」が見つめている、という歌詞なのである。

 


蒼写真での「少年」の描かれ方


「少年」は一般的に小学入学〜高校卒業くらいまでの男児の年齢層を指す言葉で、6歳から18歳とその幅は広い。

蒼写真では「遊び疲れた帰り道 大きな背中で見る夢」「小さな手引かれ」という歌詞から、その期間の中でも 小学校低学年ごろのような、幼い印象を受ける。

この年齢の"少年"は一般的な少年の苦悩を描く小説や歌詞のように 「人生の選択肢の岐路に立たされ、子どもと大人の狭間で悩むような少年像」には当てはまらない。*1蒼写真の少年は、まっさらな、選択肢が多くある/未来がいくらでもある時代の象徴として描かれているのではないだろうか。

 

いつも満たされた訳じゃない だけど明日に胸躍らせ 

雲を掴もうと伸ばした手は あの日の少年の夢


サビで繰り返す上記の歌詞は、大人の「僕」が少年のころの自分を回想しながら、今の自分自身と向き合っている歌詞なのである。

 


蒼写真の季節-時系列考証


1番で歌われる「夏草」は夏に生える青々とした草のことである。読んで字の如く、これは夏の季語である。

一方、2番で歌われる「露草」は小さな青い花をつける草である。露草は、秋の季語である*2

1番の歌詞に登場する「祭り」「花火」は、夏を彷彿とさせる単語である。

また、2番は「吹く風が冷たくなったら 虫の声を待って夜更かし」という歌詞で風の冷たさと、虫の声(これも秋の季語)で秋に季節が変化していることを示している。

夏草、露草を並べることで、1番と2番で夏と秋の記憶がそれぞれ蘇っていることを表しているのだろう。

また、1番と2番を通して「少年」時代の描写は夜で、少年の頃を回想する大人の「僕」は日中(昼)にいる。

時間帯があらわれている歌詞は以下の通りだ。

祭りのあと 花火の跡→夜

よく見えた星空→夜


雲を掴もうと伸ばした手→昼

時間軸が正反対であることで、1番と2番のAメロBメロの歌詞がより一層回想らしく、サビの歌詞は大人の「僕」の"現実"であるように、対照的に描かれているのだ。

 


「帰り道」の記憶


1番で描かれる、遊び疲れた「帰り道」

2番で描かれる、星空の「帰り道」

 

1番と2番通して描かれる「帰り道」の歌詞は何を意味するのだろうか。

1番の「帰り道」では、祭りの賑やかとは反対に、遊びが終わったあとの寂寥感を感じる。

2番の「帰り道」では外で夜更かしをする、という子どもにとっては一大イベントから自宅へ戻る淋しいさを感じる。

一方で、蒼写真の「帰り道」には必ず大人の背中に乗ったり 大人の手に引かれた記憶が伴う。淋しいだけではない、大人に導かれて家路に帰る安心感が読み取れる。

この「少年」の帰り道の記憶に必ず大人が伴うというのは、深読みすると 大人になった「僕」が少年であった頃の「君」を導くことのできる存在になっているだろうか?という迷いや、少年の頃の大人への憧憬にも感じられる。

 

 

「青」「蒼」「群青」ー3つの"あお"の描写


「蒼写真」の歌詞には、2種類の"あお"が登場する。

まずは、「青」。

サビの「青い時」というフレーズにあらわれる。

未熟さ、若い頃をあらわす言葉として用いられる一般的な用語と同じような使われ方である。


次に「群青」の写真について。

群青は、ウルトラマリンの鮮やかで濃い青。深い青。

少年が思い出を回想するとき、その思い出は色褪せる部分もある。しかし写真の中では、思い出がそのまま保存されている。青い思い出がありありと、昔の状態のまま鮮やかに保存されている、ということで写真の色は「群青」なのだと思う。


蒼は、草が青く茂る様子をあらわす日本の伝統色。

"青写真"は、そもそも複写をするときに青くなる写真のことである。それを設計図として利用したことにより、「未来の計画、構想、設計図」という意味を持つようになった。

この青写真という言葉を題にするとき、敢えて青を「蒼」に置き換えたのは、少年時代の僕の心象風景としてうつる青色、として青よりも深みのある"蒼"が用いられたのではないだろうか。

また、蒼は歌詞に登場する「夏草」「露草」の色ともリンクする。

 


まとめ


蒼写真のこの歌詞に、今年は何度胸を打たれ 涙しそうになっただろう。

「蒼写真」は大人になった「僕」が無邪気な少年の頃の自分を回想しながら、自分自身が選んできた道のりを肯定する歌詞である。


「いつも満たされたわけじゃない」とあるように、過去の自分の全てが正解だとは この歌詞は言っていない。

だけど、

時計の針があの頃まで もう一度 戻ったとしても

きっと同じ道を選んで 悩み歩いてきただろう

とあるように、過去の自分の選択は正しかった、と肯定しているのである。


まるで横山さんが「自分の人生に花マルをつけられるように」と かつて言っていたように。


過去の無邪気な自分が、今の大人になった自分を見たときに顔向けできるような自分でいること。

そんなことを思い出させてくれるのが関ジャニ∞「蒼写真」だ。

*1:関ジャニ∞の「BOY」、谷崎潤一郎「少年」など

*2:露草f:id:confi818:20191018214009j:image