深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

チョコレートに関する散文

 

私はチョコレートが好きだ。

コンビニで必要でもないのに、ついつい買ってしまう。
甘ったるいミルクチョコレートは疲れたときに休息がわりで食べるのに最高だし、成人してからはビターチョコレートを赤ワインと伴に嗜むことを覚えた。
バレンタインデー前のデパ地下のチョコレート売り場は戦場だけれど、ドキドキする。好きな人にチョコレートを渡すなんて、言ってしまえば日本企業の陰謀だけれど、女の子が想いを託すものがチョコレートだからこそ、夢があるのだと思う。

 

チョコレートとは、不思議な食べ物だと思う。
児童文化に登場する「チョコレート」は、いつだって子どもたちの憧れや自由の表象である。それは、子どもでも安易に手に入れることのできる嗜好品だからであろうか。

ーそう、チョコレートは嗜好品なのである。ドラッグと同じように常習性がある、なんていう論文も出ているらしい。

 

チョコレートの原料のカカオは、アフリカ・中南米・東南アジアといった高温多湿の気候で育つ。高温だとチョコレートは溶けてしまうから、カカオの生産者はチョコレートの味を知らないのだと、何かで読んだ記憶がある。生産地でつくることのできないものを、支配者が手に入れる。チョコレートをつくる背景は、資本主義と植民地主義に塗れているのだ。

これは、チョコレートのもつ、自由と憧れのイメージと乖離しているように思える。

 

だけれど、私は今日もチョコレートをひとかけら、チョコレートの矛盾と世の中の矛盾を口の中で溶かすようにして食べるのだ。チョコレートの常習性に負けた、と言い訳をしながら。