深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

表現するということ

 

生きていくなかで、何事もなく安定した暮らしが出来て その中で自分の好きなことができたらいいなって私は思う。だけど、すばるくんの人生のなかの最優先事項は歌を歌うことなんだろうな。

決して愛想がいいわけではなく、口下手なすばるくんが 唯一、自分の感情を自由に表現できるのが音楽で。「歌を歌うこと」を最優先事項にしなくたって、単に自分の生活において大切なものとしてとっておくこともできる。なのに、すばるくんはそれをしなかった。できなかった、のかもしれない。とても生きづらいし、他人からすれば「もっと上手くやればいいのに」の一言に尽きるのかもしれない。でも、彼は表現者だから 上手く生きようと思ってそれができるならとっくの昔にやってるし、こんなに苦労しなくてもよかった。どんなに苦しんでも、歌のためなら全てを投げ捨てても厭わない人。そんな気迫や魂は、いつだって歌から伝わってきていた。

表現するということは、「生きること」と同義だと思う。自分の中の感情を、外の世界へあらわすこと。音楽や芸術や文学だけじゃなくて、日々の生活で生きていく行動の指針や基盤のようなもの。昔の偉人たちは、表現の自由のために戦ってきた。自分というものを強く持つ人にとってはとりわけ、表現を奪われることは、呼吸ができなくなることと同じなのではないのだろうか。

関ジャニ∞でも、いろんな景色が見れることを十分にわかっているすばるくんがそれでもなお、「もっと広い世界を見たい」と言った。彼の言葉は漠然としているけれど、表現をする人間がそう行き着くことに疑問はない。

表現というものは、大きく2つに分けられるらしい。自己の表現と、"何か"の表現だ。そしてそれは、作り手の意思を伴わず、受け手に左右されることが多い。受け手が作り手の背景や自分の感情から勝手に読み取ってしまうことだ。それはワイドナショーで清塚さんが言及していた「"愛している"という詞を歌うときにも、アイドルとしての"愛している"になる。それは寧ろ僕ら聞き手の方にそういう認識があって。どこまでいっても国民的アイドルである関ジャニ∞さんの"愛している"なんですよ。そこから出たいと思ってしまったら、どっちが良い悪いじゃなく、アイドルだから出来ること出来ないことがあって、出来ないことがいまの自分がやりたいことになってしまったら音楽家にとって決断せざるを得ない」という話にも通じること。この言葉を最初に聞いたときは、〈アイドルではできないことをやってみたかったんだな〉という言葉の表層部分で納得していたのだけれど、改めて考えてみると厳しい音楽の世界にプロとして身を置く人の、表現する人の生き方の根本を示す深い言葉だなぁと感じる。

 

関ジャニ∞から離れてほしくない、という悲しみはずっとあるしこれからもこの思いは薄れることなんてないような気がするけれど、表現者として挑戦をするすばるくんの人生を応援すると言った関ジャニ∞を否定することなんてできない。

すばるくんが居なくなることで、当然として「関ジャニ∞の表現」のかたちは大きく変化する。だけど、関ジャニ∞それぞれだって立派な表現者だから、それさえも表現の幅を広げる糧にしてくれるにきまってる。