「大阪ロマネスク」は、2006年3月にアルバム『KJ1 F・T・O』に収録された後、同年6月に「∞SAKAおばちゃんROCK/大阪ロマネスク」の両A面シングルとして発売された楽曲である。
この曲はデビュー前から松竹座で歌われてきた楽曲であり、ファンからの支持も強いと言われている。
それを裏付けるのは、2012年デビュー8周年の8月8日を記念したイベント「すごはち」でファン投票1位を獲得したことだ。
また、発売から12年が経った今年 2018年、アルバム『GR8EST』に葉加瀬太郎さんのヴァイオリンを加えて新録され、初めてMVが収録された。
「僕らからファンに向けたラブソング」(横山) であるとの言葉があるように、「大阪ロマネスク」は関ジャニ∞とエイターにとって、特別な曲と言える。
人気な楽曲故、多くの関ジャニ∞のファンがこの楽曲について言及していますが、今回はあくまで「大阪ロマネスク」の歌詞に注目して、文学的に解釈をしていきたい。
テーマ:「大阪ロマネスク」の「場」と雅なる物語(ストーリー)考
⑴設定
視点…基本的に「僕」の一人称である。
(Cメロにおいては三人称とも考えられる。空から眺めたような、いわゆる"神視点"である)
人物…
「僕」大阪出身である。
「君」関西以外の出身である。
→地の文が標準語であるのに対し、Bメロで「僕」が語る「好きや」「やっぱり好きやねん」と関西弁が登場する。
曲の構成…
Cメロ(サビ)→
1番 Aメロ→Bメロ→Cメロ(サビ)
2番 Aメロ→Bメロ→Cメロ(サビ)→Dメロ→Cメロ(サビ)→Cメロ(サビ)
場所・時間…
歌詞の舞台となるのは「西の街」である。
その後の地名から考えると、この「西の街」というのは大阪であると考えるのが妥当であろう。
時間軸としては「僕」が「あの日」を回想するAメロが存在する。Aメロは、歌詞が過去表現で終止している唯一の箇所である。
回想以外の場面は、便宜上[現在]と呼ぶことにする。[現在]のパートは、①→④と時間が経過していく。最後の2つの[現在]においては、そのまま⑤と続かせるべきであるかどうか判断が難しかったため、これに関しては後述する。
[現在]パートにおいては、場所は御堂筋・心斎橋・戎橋と同じエリアが登場する。図のように、御堂筋の一本東にあるのが心斎橋筋で、心斎橋筋の中にあるのが戎橋である。
「あの日」のパートにおいては、[現在]で登場した御堂筋の北端である梅田駅と南端である難波が登場する。よって、大阪ロマネスクにおいて「僕」と「君」の思い出の場所は御堂筋であると定義できる。
なお、歌詞には「神戸」という地名も登場するが、「僕」と「君」が観覧車から見た景色であり、実際には足を運んでいないため、ここでは割愛する。
⑵考察
・大阪ロマネスクの「君」の存在について
「この街の言葉 乱暴と言ったね」というパートから、「君」は「この街」=大阪の出身でないと推察できる。
しかしながら、「僕」が主体となっている本楽曲において「君」の存在は極めて曖昧なものであり、詳らかな人物像を把握することはできない。
「君」に関連するフレーズを列記してみると、
「君の背中が消えた梅田駅」
「忘れられない君の優しい声」
のように、後ろ姿と記憶の中の声でしか「君」が存在しない。
これは「僕」が追いかけ求める「君」という恋人の見かけや人物像といった姿を、敢えて具体的な存在にしないことで、聞き手に想像を委ねているのではないだろうか。
・恋を始める「御堂筋」、恋をするため人が来る「心斎橋」
御堂筋は大阪駅から難波駅までを結ぶ、大阪の有名な道路である。そして御堂筋の南側、一本東の繁華街が心斎橋である。
Aメロから分かるように、「僕」と「君」の恋の舞台は御堂筋であった。「あの日の僕ら」を回想するときも、具体的な地名として登場するのは梅田となんばである。これらは御堂筋の北端と南端の位置に存在する場所となる。「恋をするなら御堂筋から始める」というフレーズは、このような実際の二人の思い出があるからこそ存在しているのだろう。
Cメロ(サビ)で「君」を追いかけた「僕」は心斎橋筋にある戎橋に辿り着く。そのため、「僕」は「君」を探して心斎橋を駆け回っていたことが理解できる。繁華街であるため、いつも人がごった返している心斎橋で、それぞれの人が何を目的に集うのかは誰も知れない。しかし、「僕」が「君」を探した本楽曲において、心斎橋は「恋をするため 人が来る」場所なのである。
御堂筋は「恋をするなら 御堂筋から始める」という歌詞にあるように、恋を始める場所である。
「大阪の大動脈」とも呼ばれる歓楽地、大阪の街の発展の中心地である御堂筋だからこそ、「僕」と「君」の思い出の場所と設定されているからだろう。
そして、御堂筋と比較するように、心斎橋は「恋をするため 人が来る」場所である。
心斎橋筋は戎橋を挟むようにして 大きな商店街が存在し、歩行者専用道路となっている。車が行き交う御堂筋と異なり、人が行き交うのが心斎橋である。そのため、「恋をするため 人が来る」フレーズのように、あるいは「僕」が「君」を探して追いかけるように、人が往来する姿を思い描きやすい場所なのである。
・「雅なる物語」の結末は?
「あの日」に、傷つけあってかけだしてしまった「君」を追いかける「僕」の姿が終始描かれている。
Cメロ(サビ)の部分に着目すると、「僕」の心情が楽曲内で変化していく様子が見て取れる。
1番サビでは「早く早く 追いかけて」であったのが、Dメロ後サビでは「すぐにすぐに 追いかけて」となっている。"すぐに"のほうがより性急的なイメージを伴うように読み取れる。
また、冒頭サビでは「恋をするなら御堂筋から始まるのさ」 だったのが2番サビでは「恋をもう一度御堂筋から始めたいよ」最後には「恋をするなら御堂筋から始めるのさ」と変化してゆく。
"始まる"は他動詞であり、自分の意志に関係なく、現象として発生する行為に使われる。
それが、もう一度"始めたいよ"と、希望の助動詞を加えることで、再び恋をしたい「僕」の意志が強まっていることを表している。
最後に、"始める"と自動詞を用いることで、「僕」の意志によって恋をすることを表している。よって、これらの似た3つのフレーズは、徐々に自分の意志で恋をすることを決意する「僕」が描かれている。
「僕」の意志の変化は以上で理解できるが、「君」との関係性はどうなったのであろう。
Dメロでは交差点で「僕」と「君」が見つめ合い、「忘れられない 君の優しい声」を聞き「時間が止まっていく」。時間が止まっていく…というのは1秒がやけに長く感じるような感覚、つまり「僕」の驚きを表現しているようだ。
つまり、これは暗に「僕」と「君」が再会できたことを示しているのではないだろうか。
しかしながら、これより先の物語は誰も知れない。Dメロの後にサビが二回繰り返される中で、前述したように「僕」の心情の変化がわかる。
これには2通りの考え方がある。
⑴自分の意志で「君」と恋を始める「僕」は 交差点の向こうにいる「君」を追いかけている
⑵Dメロが時間軸として最後の地点で、「君」に再会する直前の「僕」の心情を歌っている
どちらが正解なのかは、あの歌詞の内容だけでは判断が難しいと言えよう。
私は⑴の「君」を見つけ、駆け寄る「僕」が最後のサビで歌われる解釈を支持したい。
何故なら、前述した「早く 早く 追いかけて」が最後のサビで「すぐに すぐに 追いかけて」に変化した理由がここにあると考えるからだ。少し離れた場所で見つめ合い、時が止まった(Dメロ)あと、一刻も待てないといったように「君」の元に向かうのは、「君」の姿を一目でも見てしまったから。そう考えると、このたった三文字の変化が、とても効果的に響いてくるのだ。
⑶まとめ
改めて「大阪ロマネスク」の歌詞をじっくり眺めながら整理していくと、物語性のある素敵な楽曲であることがわかった。単に「大阪を舞台にしたラブソング」というだけでなく、御堂筋で恋に落ちた二人が別れ、"僕"が"君"を強く探し求め、やがて心斎橋で再会する物語だということが理解できた。このように、普段から何となく聴いている楽曲でも、その物語性の深さというものが聴く人の心に訴えかける要因にもなっているように思う。
この楽曲が初披露されたのは松竹座で、そこはまさに大阪ロマネスクの物語の舞台となった戎橋の南側、御堂筋と心斎橋筋に挟まれた位置にある。
この場所でこの楽曲を歌った関ジャニ∞と、この楽曲を聴いたファンは、自分が物語の人物であるかのように思ったのではないだろうか。
そして実際に松竹座で、この楽曲を聞いたことがない私でも、エイトの思い入れのある《あの場所》に想いを馳せることができるのだ。
そしてこの楽曲は、「大阪の恋物語」という軸となる部分は全くブレない一方、「君」のイメージや、恋の結末などは 聞き手の想像に委ねられている。
それが、「大阪ロマネスク」を 聞く人によって・聞く場所によって、イメージを多様に変化することができるという面を生み出しているのではないだろうか。