深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

堂本剛さんを好きになってから、世界の色がほんの少し変わった話

つよしさんの誕生日のときから、つらつら考えていた、私にとってつよしさんはどんな存在なのか、改めて考えてみた。

 

例えば誰かに「あなたの担当は?」と聞かれると躊躇いもなく安田担と答えるだろう。つよしさんも担当と言ってしまえば担当だけど、なんだか腑に落ちない。それは私が掛け持ちに対して違和感を覚えるとかそういうわけでもなく、担当だとかそうでないとかの線引きは人によって曖昧なものだから、私のつよしさんへの応援スタンスに名前を付けようとするのはやめた。ただそれだけなのである。
 
 
 
いつ私がiPodに「ROSSO E AZZURRO」をインポートしたかは覚えていない。多分、中学生の頃ジャニーズのアルバムを近所のレンタルショップで借りれるだけ借りていた時期があったからきっとその頃からだと思う。安田くんの尊敬する先輩の音楽だから聴いておこう、確かそんな感じだったのではないか。このアルバムは私に聴かれることなく、ずっと眠り続けていた。
 
 
 
忘れもしない、高校2年の冬のある夜。私は暗い部屋に閉じ籠って、呼吸を整えていた。発作が起こったのに袋がなくて、このまま放っておいたらどうなるんだろう、どうなっても良いとすら思った。原因は家庭内の問題だったし、今となっては解決したことではあるが当時の私は、深く心に突き刺さった棘を抜く術はなく、止血をする術もなかった。あの日のことは、具体的に書くと精神的に苦しいので非常に抽象的ではあるけれどこれで許してほしい。
 
その夜に、私を救ってくれたのは「Panic Disorder」だった。
今まで不協和音としか思えなかったイントロが、そのときの心の色と重なった。
 
不意に襲う呼吸困難に
やつれた心はたくましく
力強く生きてる
 
この歌い出しに酷くドキッとした。
 
貧弱な魂は
孤独を自由と叫ぶ
 
ああ、闘わないといけないんだと思ったことは鮮明に記憶している。
 
 
 
それから沢山彼のことを調べた。こんな歌詞が書けたのは誰よりもつよしさんが闘っていたからだと知った。
眠れない夜も、朝焼けのピンクが美しいことを知った。永遠など存在しないからこそ、たった一度の人生を人は生きているということ。
でも、心の中にそっと叶う永遠もあるということ。
求めるより与えることで生まれる愛があるということ。
愛に溢れた優しい人だから、愛無き言葉に傷つけられて、それでも愛をすることを諦めない彼が好きだと思った。
 
 
 
 
 
あれから3回目の春を迎えた。今年の桜も美しかった。やっぱりつよしさんに担当といったようなラベルを貼ることは出来ない。どこまでも重いヲタクであるとは自覚している。
つよしさんが提示する、「僕なんかに依存しないでね」っていう言葉は、突き離しているようだけど、ずっと一緒に居られるためだと知っているよ。叶う永遠をつくるために。
遅ばせながらですが、堂本剛さん37歳おめでとうございました!