深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

安田担の杞憂

エイタメDVDのMCを見て、何となく空回っているというか、言いたいことが上手いこと伝えきれていないのであろう安くんを見ると、もどかしいような気持ちになる。

 


新年会のDVDの「カーテンの隙間から差し込む朝日」の件もそうで。これは安くんの文脈の解釈の違いによって起こったことであると思うのですが、質問の意図することとは違う答えをしてしまう安くんは至って真面目なんですよ。それを理解できないメンバーと、フォローしようとしたけれど別方向からフォローしてしまった村上さん…と、何ともハラハラする展開だった。これは、決してメンバーが悪い訳でなくて、安くんが間違っていた訳でもなかった。
バラエティのときでもそう。彼の思考回路は、話題とされているものから、突然飛んでしまうことがある。相手が予想している言葉と余りに違っているから、つっこまれたり、場合によっては理解できずにその話題が流れたりする。しかし、流れを無視しているようで、彼の中ではそれは繋がっている話題であって、後から考え直すと別段突飛な発言でないこともある。
安くんが、もし、こういうことに上手く対処できる性格だったら、こういう風に気を揉むこともないのだろうけれど、彼を嫌いになる要素の一つにもなり得ないのだ。
「もっと上手くやればいいのに」とは思う。でも、関ジャニ∞の中で安田章大のちょっと変わった思考回路は必要なものなのではないだろうか。他のメンバーとは違う解釈ができるから、グループとしての考え方が停滞せずにいられる。元々の優しい性格もあって、こんなところにも配慮しているのか、とファンとして驚かされることもある。そして、「上手くできない」からこそ、好きになれる部分があるのだ。
私は、もし彼が自分の思考を上手に言語化することができたのならば、音楽が彼に降りてくるなんてことはなかったと思うし、絵を描かなくてもよかったのだと思う。彼の才能は、いずれも「上手く言葉にできない何か」を伝える手段だからだ。
もし、安くんが自分都合のために話の流れを中断できるような性格だったら、私は果たして彼を好きになっていただろうか。
私は、彼が溢れんばかりの才能を持っているのにも関わらず、「あまりに普通でいる」姿が好きなのだ。そんなに器用に色々できるなら、もっとその才能をひけらかしてもいいものを、彼はあまりに普通なのだ。メンバーや、彼の周囲が言及して初めて、どこかおずおずとした様子で説明する。アーティスティックな人特有の鼻にかけたような、自信に満ちた感じ(あくまで偏見であるが)が驚くほどにない。そういうところが、愛おしいなぁと思うのです。

年々、何となく頑固さが出てきているように思う安くんの、真面目すぎるが故の小っ恥ずかしさとか、彼は流れを汲んでいるんであろうけれど、文脈解釈が周りとは違う故の空気の読めなさによるハラハラ感というのは、治るものでもないと思う。だから、安くんを応援するファンとして、これらの気持ちにどう付き合っていくのかが、健康なヲタクライフに大切なのだと思う。