深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

KinKi Kidsと「羽根」論

 

 

 「KinKi Kids」と「羽根」といえば、彼ら自身も転機となった代表作だ、と言う『ボクの背中には羽根がある』が思い浮かぶ人が多いのではないでしょうか?

私は、KinKi Kidsと羽根、この2つは親和性が非常に高いと考えています。

 

まず、"キンキと羽根"の概念の中に、「ボク羽根」の世界観が落とし込まれていると前提してみる。

ずっと君と生きてくんだね

何もかもが自由だね

と、君と僕の幸せを確信するかのようなフレーズの一方、

どんな辛い未来が来ても

嘘じゃないよ

と、"幸せではない未来"を予期しているかのような、逆説的なフレーズを用いて幸せを表現している。そう考えると、「何もかもが自由」だと言った、"君と僕"の現在は本当に自由なのだろうか? …これは、自由ではないところから、自由を求めている2人の物語なのではないのか?と、深読みしてしまう。

そして、

きっと 君と生きてくんだね」

と、"ずっと"の言葉が持つ、断定するようで、受動的に"君"と生きていく運命を悟る歌詞から、ひとつだけ"きっと"を落とし込むことで、確信的、それでいて永遠なんてないよと、不確かな意味を持つ3文字に、この曲全体としての深みがより一層増していくのではないだろうか。*1

最果タヒ特集のユリイカで、彼女の作品を【逆説的ロマンティシズム】であると評する文章があった。逆説的ロマンティシズム、この言葉がこの数ヶ月、ずっと頭の片隅に残っていた。そしてふとした瞬間に、この言葉が示す意味について考えていた。真理と反対のことを言って、逆に真理をついているようなロマンティシズム。まさしくボク羽根の歌詞の世界観を的確に表現する言葉なのではないだろうか。

 

 

 

「ボク羽根」以外にも、KinKi Kidsの歌詞で他に羽根をモティーフとしたものは多くみられる。

 

  • 僕を殺してから 羽ばたくならいいよなんて/ライバル
  • 傷ついたその羽根を癒せるのは僕じゃない/futari 
  • が折れても 羽ばたきたがる/Tomorrow Again
  • 僕の想いは 夜空彷徨う白いさ 君を抱いて 羽ばたいて 永遠よりも彼方へ/Harmony of December
  • 僕等照らす 夜空の月が思ったより円くなくても 羽根を広げたら何処まででも遥か遠く飛べる気がしてた
  • 胸をつかむかわいた風に思いがけず羽根がもげても キズつけあい 君愛した 日々をここで想うよ/エンジェル

 

  • 曲自体が羽根をテーマとしている→『むくのはね

 

 


・「傷ついた羽根」のイメージ
 KinKi Kidsの歌詞中に登場する、羽根の歌詞を私が見る限りで抜き出してみたが、「傷ついたその羽根を癒せるのは僕じゃない」(futari)や、「羽が折れても羽ばたきたがる」(Tomorrow Again)、「思いがけず羽根がもげても」(エンジェル)に見られるように、傷ついた羽根の表現が多いことに気付くだろう。「傷ついた羽根」は一体、何を表現しているのだろうか。

  私は、「傷ついた羽根」は、単に人間の傷ついた心を比喩的に表現したものではないと考えている。羽根を持つ動物といえば鳥ですが、ここの歌詞でいう羽根を持つ動物は、『天使』であろう。*2
 天使が羽根を傷つけられた例で、私が思い浮かぶのはフィンランドの画家、シンベリの『傷ついた天使』である。f:id:confi818:20171031000835j:image

血の涙を流し、ボロボロに傷ついた天使。別の資料で読んだ本の中には、堕天した死を司る天使が、血の涙を流す、といった神話が残されていた記憶もあります。しかしながらシンベリは、一切の説明も残さず、全ての解釈を観るものに委ねたのだそうです。天使という、「聖なる者」「清純」「潔白」このようなイメージのものが、傷つけられたとき、この絵のように、なんとも言い難い物哀しさが頭を過ぎるような気がします。KinKi Kidsにおける「傷ついた羽根」は、このような複雑味を帯びたメランコリーな世界を表現しているのかもしれません。

 単に傷ついた人の心の比喩ではない、と前述していますが、これはこれらの歌詞の二人称(君)をそのまま天使に当てはめろ、と言いたいわけではありません。寧ろ表現したいのは、傷ついた天使のような性質を持つ、或いはそこから想起される物哀しさを持つ君(=人間)ということです。

 

・『ライバル』考
上記で省いた『ライバル』の「僕を殺してから 羽ばたくならいいよ」ですが、このフレーズも眩暈がしそうなほどに好きなフレーズです。ここで言う、「羽ばたく」は無論天使の話ではありません。曲全体を通して見るとよく分かるのですが、同い年のライバルがお互いの才能を理解して切望しつつも、屈辱に呑まれる。良くも悪くも「君がいるから 僕がいるから 世界は狂う」のだという曲。ヒリヒリするようなライバル関係の感情と同時に、こんなにも好敵手に出逢えたことは運命であると自覚しているんですよね。だからこそ、「僕を殺してから 羽ばたくならいいよ」と口では言うけれど、"君"は"僕"を決して 殺せやしないことをとてもよく理解しているはずなのです。"宿命のライバル"という言葉がありますが、宿命は命が宿る、つまり生まれたときから決まっていること。運命とは運ばれた命、つまり自分次第で変えられるもの。ライバルで描かれる2人の関係性はまさしく「宿命」に近いのだと思います。

 

・『むくのはね』について

何年も 何十年も 優しい気持ちでそっと見つめているよ

と、ひらがなのタイトルで表記される柔らかな雰囲気とともに、幸せで暖かなサビの歌詞のこの楽曲ですが、2番のAメロBメロでは

こわれかけた心は 紛れ込んでしまった闇の中で

聴こえたものを紡いだ はばたく痛みと胸につのる想いを

と、こちらも「闇」であったり、「痛み」というフレーズが用いられている。ボク羽根における逆説的ロマンティシズムのような構図がこちらにも見られるのではないでしょうか。

 

 

-まとめ-
もともと、フォロワーさんの『KinKi Kidsで噛みしめる眩暈がするフレーズ十撰』に便乗して、ブログを書こうとしたのですが、気づいたらKinKi Kidsと羽根だけでこの文量になってしまいました…!!!長々と書いてしまいましたが、【結論】KinKi Kidsと羽根、天使のモティーフの親和性ってすごい高いですよね!ってことが言いたいだけの文章です。「ボク羽根」をきっかけに、KinKi Kidsフレーズにおける「羽根」は、仄暗い天使の物語性が付与されているかのように読み取れなくもない…と考えています。因みに、私の掛け持ちしている関ジャニ∞で羽根が用いられるフレーズは「その羽を大きく広げて飛び立つ前に」(輝ける未来へ)や、「世界は羽ばたく(1.2.1.2)日本の未来へ(1.2.1.2)」(S.E.V.E.N転び E.I.G.H.T起き)と、「未来へ羽ばたく」意味合いで使われていて、とても対照的です。

 今回、Harmony of Decemberについては言及できませんでしたが、これもその後のフレーズに「消えないでいて」とあるので逆説的なんですよね。儚さが際立つフレーズです。
 

以前、やめPUREをテーマに「一体誰が"天使をやめないで"なのか」という歌詞論考(という名の妄想)を途中で放棄しているものがあるので、今後書く余裕があればそれも付け加えれたらな…と思っています。(概要としては、「天使をやめないで」と言っているのは第三者であるとして、それは誰なのか、天使でありながら羽根を伏せ、時間を止めようとし、孤独である主人公像とは?)
こういう無駄な歌詞解釈は趣味のようなものなので、もしも解釈が異なっていたり、「これは違うじゃねーか!」っていうのがあってもお願いですので刺さないでくださいね……

*1:光一さんの提案でここの歌詞を変更したという話は後世にも語り継いでいきたい

*2:この場合、単にライバル関係にある2人のどちらかが上にいく、という比喩的な表現の動詞として「羽ばたく」を用いる『ライバル』は含まない