深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

セピア色の思い出と忘却の音楽 ー「忘れてもらえないの歌」感想文

「忘れてもらえないの歌」の大阪公演を観劇してきました。感想文を書こうと思いながらも二週間が経って、観劇した直後は鮮明だった記憶が少しずつ朧げになってきました。(単純に私の記憶力の問題でもあるけど)

でも、あまり鮮明すぎる記憶の中では、うまく自分の中で言葉に変換することができなかったから、「忘れてもらえないの歌」で、忘れられなかったことを、感想文として綴って行こうと思う。

 


「忘れてもらえないの歌」は、ずっしりと重い舞台だった。

それは、戦中から戦後という混沌とも呼べる時代のなか生き抜いた人たちの物語であること。そして、これはきっと切り離して考えるべきなんだけれど、関ジャニ∞が5人になったという最中に、安田章大さんが、バンドを組むも、方向性の違いでバラバラになって苦しむ主人公の姿や 感情と対峙しなければならなかったこと。


バンドメンバーを「仲間とは言えない」と、記者に告げた滝野くん。

その滝野くんと、「関ジャニ∞ 安田章大」は全くの別人で、同一視することはできない。

けれど、滝野くんが安くんの身体から発される言葉と感情であるということに間違いはないから、時々苦しくなってしまった。


滝野くんは「空笑い」をするキャラクターだ。

周りの空気を壊したくないから、自分の気持ちが例え辛くても哀しくても、笑う。彼の精神的なアンバランスさや、危うさを際立たせる印象的な滝野くんの「癖」だ。

一人では取り繕う必要がないから、一人の場面ではあまり笑わない滝野くん。ただ、最後のシーンでひとりきりで笑う滝野くんは、諦念、歌が"忘れてもらえない歌"になったことへの感傷、哀しみ苦しみ。これらの感情の全てが入り混じっているかのように思えた。あまりにも辛い時に、笑うことで誤魔化す以外 分からないときの感情の発露のようでもあって、ひどく切なかった。


二幕の冒頭で、稲荷が見る「夢の夢」のシーンがある。もしも戦争が起こらなかったとしたら 叶うはずだった"それぞれの夢"を 眠るときの"夢"で見るシーンだ。滝野くんにとって床屋は、夢ではなく、お金を稼ぐための手段だった。現に、台詞の中でも 麻子ちゃんが教師になることを、稲荷くんが作家として生計を立てることを、良仲くんがピアニストになることを「夢でした」と言う中で、1人だけ「夢なんかじゃないですよ〜」と、夢を否定するのが滝野くんだった。

そんな滝野くんは、Tokyo Wonderful Flyの"仲間"からは音楽は彼がお金を得るための手段と見做されていた。現に、バンドをはじめるきっかけや、最初の頃はそうだったかもしれない。

ただ、戦況が悪くなっても音楽の近くにいて、最後の日もカフェガルボに赴き、苦境のなかでも歌い、新たな音楽性を模索しようとし、音楽で生計を立てられるように工面し、ひとりでかつての音楽仲間をガルボで待つ、そんな滝野さんの姿は「音楽好き」に他ならない。


「忘れてもらえないの歌」は戦中から戦後のジャズバンドを描いた物語だ。

戦前、日本においてジャズは踊るための音楽だった。一幕の冒頭のダンスホールのシーンのように。そして劇中にも描かれていたように、ダンスホールが禁止され、戦争が激しくなると、敵性音楽であるジャズ自体が禁止となってしまった。

しかし、それでもジャズを愛する人々に流れる、"心の中の音楽"は鳴り止むことがなかった。

いくら法で規制しようとも、人々の心までは規制できないのではないか。

空襲の日に必死にレコードを守ろうとした良仲くんの姿や、赤紙(招集令状)を持ってガルボを訪れ、最後にレコードを聴こうとした稲荷くんの姿からも、私にはそう、感じさせられた。

 

音楽と演劇は、その場にとどめることの出来ない芸術だ。発された瞬間には消えてしまう、そんな芸術。

だけど、音楽と「記憶」は脳の仕組みの中で、不思議と強く結びつけられているのだと、ある論文には書かれてあった。

人は、過去に聴いた音楽を聴いた時に、その時の感情や温度、匂いなんかを思い出す。

文字や絵画にはない この特徴は、すぐに消えてしまう音楽を「忘れたくない」と人が無意識下で思うから、自然とそういう風になっていったんじゃないかと 私は思う。

だから、最高の音楽と演劇は、いつも思い出の中にある。

記憶に残したいと、強く願うことで記憶の中に留まりつづける。あるいは、心を動かされたものというのは、例えその詳細を忘れたとしても、その破片が心の中に残っているものなのだと思う。

 

思い出といえば、麻子ちゃんの

「なんだってセピア色で、古いジャズでも流せば いい出来事だったと勘違いできるから

という台詞がある。

「悲しいことに、人生は振り返る時のみが楽しみだから」という泥棒屋の台詞と重ねると、「思い出」は些細な悲しみを忘れて、振り返ってみるとといい出来事のように思えるものだから、早く現実を諦めて「思い出」にする方がいいよ、というようなニュアンスに感じ取れる。

記憶に残る音楽を残したい滝野くんが生きる"現実"は仲間からは拒絶され、皮肉にも「思い出」に生きることを勧められるのだ。

 

「忘れてもらえないの歌」で描かれる登場人物にとっての"現実"は、物語のなかで大きく変化する。

「なりたいものになれなかったことを、戦争のせいにできてよかったね。」

このホオズキの言葉がこの物語の登場人物全員にも当てはまるように感じた。

 

"時代"を言い訳に、現実と向き合おうとしない姿が描かれる一方、物語の流れが大きく変容したのが、屋上のシーンの麻子ちゃんの独白だと思う。

「時代のせいにしないでくれる?あたし全部、自分で決めたことだから。」「私、選んだの」「誰かや時代にそうさせられたなんて思ってない!」

麻子ちゃんの叫ぶ言葉は、"戦争のせい"で今の生活を選んでいるというメンバーの心に引っかかる言葉だったんじゃないかと思う。


このトリガーで、それぞれが自分の現実と向き合い、それぞれの未来を選んだ。

滝野くんは、その場に留まったかのように思えて、仲間と音楽を楽しむ未来を選んだ。

ただ、仲間は誰もそれを選ばなかった。そして、滝野くんは孤独になったのだ。


この物語は、誰かが救われるようなハッピーな結末を迎えるわけではない。

「忘れてもらえないの歌」は、陽の目を浴びず、人々に忘れてすらもらえなかった歌の物語だ。ただ、その中でレディ・カモンテが「忘れてあげる」と投げかけた言葉は、きっと滝野くんの唯一の"救い"だったのだろうと思う。

もう二度とまったく同じ形では見ることのできない「音楽」と「演劇」。

それを「忘れたくない」と強く願う観客の心のなかでは、記憶として残りつづけることができる。

そして、「忘れてもらえないの歌」という作品を忘れてあげられる作品にすることができるのは、この目でこの作品を見た私たちだけなのだ。

 

滝野くんの「夜は墨染め」に対する哀しみを、「忘れてもらえないの歌」を忘れない、あるいは忘れてあげるということで、私たちは滝野亘という人物の心を救いたい、のかもしれない。