深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

#関ジャニ∞のイメージを好きな小説から選ぶ


#いいねした人のイメージを好きな小説から選ぶ

というタグをフォロワーさん向けにやっていたのが楽しかったので、関ジャニ∞のイメージに当てはめてやってみようと思う。


ルールは簡単。

 

青空文庫から選ぶ。


②小説、随筆、詩など形式は問わない。

 


青空文庫に限る理由は、著作権が切れた電子文庫ということで時代や作家等の制約はあるものの、フリーで気軽に読むことができるからだ。

以前、ブログにあげた、関ジャニ∞メンバーそれぞれのイメージから「みだれ髪」の詩を選ぶといった記事と要領は同じである。


では、説明はこれくらいにして、本題に参ります。

特にイメージに合うと思った箇所を引用して、解説を加えていきます。

 


横山裕

夏目漱石夢十夜」 第一夜

 

こんな夢を見た。

 腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。

 

「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから」

 

自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。

「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

 

 

夏目漱石の「夢十夜」は、題名の通り、第一夜から第十夜の夢で構成される小説だ。その中で、第一夜は極めて幻想的で、美しい。

文章の美しさを引き立たせているのが、白と赤のコントラストだ。

小説冒頭の「真白な頬」にさす「温かい血の色」、「唇の赤」。女が死んだら一緒に埋めてほしいという真珠貝の色は白で、最後に目の前に現れる白百合。そのほかにも、文中では白と赤が特徴的に描かれている。至極単純に、横山さんの見た目の印象がこの文章と一致する。幻想的なまでに美しい白と赤のコントラストのイメージは、横山さんを彷彿せずにはいられない。

また、女の「百年待っていてください」と照応する、小説最後の「百年はもう来ていたんだな」という台詞。

夢であると同時に、時間軸や時空が超越するかのようなこの表現にも、なんねんたっても見た目が変わらない、時空を止めたかのような顔をしている横山さんを思い出さずにはいられない。

 

 

 

 

村上信五

織田作之助「木の都」

 

町の容子(ようす)がすこしも昔と変つてゐないのを私は喜んだが、しかし家の軒が一斉に低くなつてゐるやうに思はれて、ふと架空の町を歩いてゐるやうな気もした。しかしこれは、私の背丈がもう昔のままでなくなつてゐるせゐであらう。

 

口繩坂は寒々と木が枯れて、白い風が走つてゐた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思つた。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直つて来たやうに思はれた。風は木の梢にはげしく突つ掛つてゐた。

 


大阪の町への郷愁が描かれる、織田作之助「木の都」。かつて夕陽丘に女学校があったために、青春を思い出すという「私」の回想に、村上さんとすばるさんが同じ場所のロケで、十代の彼らが通っていたスタジオを青春の思い出を語ってくれたことを思い出す。*1

村上さんは地元への愛着というよりかは、大阪という土地に対する郷愁の念が強いのではないかと私は思っている。実際に、生まれ育った町としての大阪のエピソードよりも、かつて自分が青春を味わった場所としての大阪のエピソードをよく耳にするからだ。村上さんが故郷である大阪を思い出すとき、当時の仲間たちとの思い出=「青春の甘さ」を感じて、次の瞬間には「新しい現実」と戦っているのではないか。そんな思いで、この小説を選びました。

 

 

 


丸山隆平

夢野久作「猟奇歌」

 

彼女を先づ心で殺してくれようと

見つめておいて

ソツト眼を閉ぢる

 

うぬぼれの錯覚すなはち恋だから

 子供は要らない

  ザマア見やがれ

 

何故に

草の芽生えは光りを慕ひ

心の芽生えは闇を恋ふのか

 


丸山さん、丸山担さんごめんなさい。もうこれしか選択肢が私にはなかったのです。

太陽の下には陰があるように、明るい人を見ると、同時に人はどうして暗い部分を見てしまうのでしょう。夢野久作「猟奇歌」は題名の通り、猟奇的な心情をこれでもか、と 詰め込んだ詩集です。

丸山さんは、家でひとりになるとぐるぐると、思考の渦に飲み込まれていそうなイメージがあります。

パブリックイメージである、明るさの魅力とは裏腹に、舞台「マクベス」でみせてくれたような昏い瞳を表現できるような奥深さを持った人。まさに「草の芽生えは光りを慕い/心の芽生えは闇を恋ふのか」といったように。

見る人によって、場面によって、印象が変わるのが、丸山さんの"人間らしい"魅力だと、私は思うのです。

 

 

 

 

安田章大

アナトール・フランス「バルタザアル」(芥川龍之介訳)

 

『真なる物のみが聖である。聖なる物は人間の智を絶してゐる。人間は空しく真理を探求するに過ぎない。けれども己は空に新しい星を発見した。美しい星である。生きてゐる様にも思はれる。きらめく時はやさしく瞬く天上の眼のやうに見える。己はそれが呼んでゐる様な気がする。此星の下に生れるものは何と云ふ幸福だらう。セムボビチス、此愛らしい美しい星がどんなに己たちを照してゐるか見たがよい』とかう云つた。

 けれどもセムボビチスは星を見なかつた。それは見ようと思はなかつたからである。賢くしかも年老いた魔法師は新奇を好まない。

 夜の沈黙の中にバルタザアルは独り繰返した。『此星の下に生れたものは何と云ふ幸福だらう。』

 


「バルタザアル」は、新約聖書の東方三博士の礼拝の物語をモチーフに描かれている。

バルタザアル王は、女王と恋に落ちるが裏切られてしまう。恋愛の裏切りを忘れるかのように天文学の研究に没頭すると、美しい星を発見する。それは、イエスの誕生へと導く星だった。

この物語におけるバルタザアルという人物の自分に正直が故の愚鈍さは、一度置いておくとして、私は上記に引用したバルタザアルの台詞が好きだ。美しくきらめく星を見つけて、その星の下に生まれた者の幸福を思い浮かべるような、純粋無垢な心を持ち合わせているバルタザアル。安田くんの美しさは、どんなときにでも自然にあろうとする、心の美しさが見た目にもあらわれているように思う。そして、安田くんはメンバーもファンも認める"優しい"人ではあるけれど、周囲の意見には揺るがない意志というのも持ち合わせている。その意志も素敵な部分だと感じている。この一節の中を読むと、そのような安田くんの魅力を思い出すのだ。

 

 

 

 

大倉忠義

有島武郎「運命と人」

 

人生に矛盾は多い。それがある時は喜劇的であり、ある時は悲劇的である。

 

だから我等は何を恐れ何を憚らう。運命は畢竟親切だ。

 

だから我等は恐れずに生きよう。我等の住む世界は不安定の世界だ。我等の心は不安定の心だ。世界と我等の心は屡やうやく建立しかけた安定の礎から辷り落ちる。世界と我等とはあらん限りの失態を演ずる。この醜い蹉跌は永く我等の生活を支配するだらう。それでも構はない。我等はその混乱の中に生きよう。

 


大倉忠義という人間の、賢さとしたたかさをここ3年ほどで思い知った。俯瞰的に関ジャニ∞を捉え、ファンを導くように次々と企画を立案していく。自分自身のアイドルという立場や、そこから影響する世界をも見渡すような大倉さんには、この世の中はどう映っているのだろうか。

関ジャニ∞は、運命に翻弄されたグループといっても過言ではない。運命が変わろうとするとき、抗いたい気持ちと、受け入れなければ、という気持ちの中で揺らぐ中で、大倉さんが導いてくれた言葉に救われたファンは少なくないだろう。

この文章を読んだ時に感じるのは、「矛盾」「悲劇」など自らに降りかかった出来事を、思考の中で整理する冷静さ。その中で垣間見える哲学。そこが、大倉さんが持ち合わせている魅力と一致するのです。

 

 

 

 

以上、私の目を通した解釈から選んだ文章を抜粋してみました。作品を通して読んで、イメージに合うと感じるパターンや、一部の文章を抜粋して、イメージに合うと思うパターン。

また、作品全体の色が、アイドルを彷彿とさせるパターンなど 選び方にもそれぞれ個性が出たかのように感じます。

今回は関ジャニ∞でしたが、他のグループやアイドルバージョンも、気が向いたらシリーズ化して書いていこうと思います。

 


私以外の「アイドルのイメージを好きな小説から選ぶ」も気になるので、もしお暇がある文学とアイドルが好きな方がいれば、是非試してみてください。

*1:エイトブンノニ 上本町界隈回。四天王寺夕陽ヶ丘のサンスタジオ