深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

「蒼写真」考 -「少年」と3つの"あお"

関ジャニ∞の歌詞が美しい曲を選べ、と言われたら「蒼写真」は私の中で三本の指に入るほどに美しい歌詞の曲だと思う。

「大阪ロマネスク」「クジラとペンギン」に続いて第三弾。今回も同様に「蒼写真」の歌詞について自由に自己解釈を述べていきます。

 


登場人物/時代考証

 

この歌に登場するのは少年、僕、君である。

笑いかける君は僕になって

という歌詞にあるように(少年時代の)君=僕である。

二人称の"君"と一人称の"僕"を同一視することで、客観視的視点をもたらしているのだ。

また、この曲の中で「僕」は、回想しているように少年を見つめている。つまり君=少年でもある。

少年のころを「あの日」と形容する「僕」は、その頃より時間が経って 大人になっているのだ。

つまり、蒼写真は「少年」=「君」=「僕」で、「少年」=「君」を大人になった「僕」が見つめている、という歌詞なのである。

 


蒼写真での「少年」の描かれ方


「少年」は一般的に小学入学〜高校卒業くらいまでの男児の年齢層を指す言葉で、6歳から18歳とその幅は広い。

蒼写真では「遊び疲れた帰り道 大きな背中で見る夢」「小さな手引かれ」という歌詞から、その期間の中でも 小学校低学年ごろのような、幼い印象を受ける。

この年齢の"少年"は一般的な少年の苦悩を描く小説や歌詞のように 「人生の選択肢の岐路に立たされ、子どもと大人の狭間で悩むような少年像」には当てはまらない。*1蒼写真の少年は、まっさらな、選択肢が多くある/未来がいくらでもある時代の象徴として描かれているのではないだろうか。

 

いつも満たされた訳じゃない だけど明日に胸躍らせ 

雲を掴もうと伸ばした手は あの日の少年の夢


サビで繰り返す上記の歌詞は、大人の「僕」が少年のころの自分を回想しながら、今の自分自身と向き合っている歌詞なのである。

 


蒼写真の季節-時系列考証


1番で歌われる「夏草」は夏に生える青々とした草のことである。読んで字の如く、これは夏の季語である。

一方、2番で歌われる「露草」は小さな青い花をつける草である。露草は、秋の季語である*2

1番の歌詞に登場する「祭り」「花火」は、夏を彷彿とさせる単語である。

また、2番は「吹く風が冷たくなったら 虫の声を待って夜更かし」という歌詞で風の冷たさと、虫の声(これも秋の季語)で秋に季節が変化していることを示している。

夏草、露草を並べることで、1番と2番で夏と秋の記憶がそれぞれ蘇っていることを表しているのだろう。

また、1番と2番を通して「少年」時代の描写は夜で、少年の頃を回想する大人の「僕」は日中(昼)にいる。

時間帯があらわれている歌詞は以下の通りだ。

祭りのあと 花火の跡→夜

よく見えた星空→夜


雲を掴もうと伸ばした手→昼

時間軸が正反対であることで、1番と2番のAメロBメロの歌詞がより一層回想らしく、サビの歌詞は大人の「僕」の"現実"であるように、対照的に描かれているのだ。

 


「帰り道」の記憶


1番で描かれる、遊び疲れた「帰り道」

2番で描かれる、星空の「帰り道」

 

1番と2番通して描かれる「帰り道」の歌詞は何を意味するのだろうか。

1番の「帰り道」では、祭りの賑やかとは反対に、遊びが終わったあとの寂寥感を感じる。

2番の「帰り道」では外で夜更かしをする、という子どもにとっては一大イベントから自宅へ戻る淋しいさを感じる。

一方で、蒼写真の「帰り道」には必ず大人の背中に乗ったり 大人の手に引かれた記憶が伴う。淋しいだけではない、大人に導かれて家路に帰る安心感が読み取れる。

この「少年」の帰り道の記憶に必ず大人が伴うというのは、深読みすると 大人になった「僕」が少年であった頃の「君」を導くことのできる存在になっているだろうか?という迷いや、少年の頃の大人への憧憬にも感じられる。

 

 

「青」「蒼」「群青」ー3つの"あお"の描写


「蒼写真」の歌詞には、2種類の"あお"が登場する。

まずは、「青」。

サビの「青い時」というフレーズにあらわれる。

未熟さ、若い頃をあらわす言葉として用いられる一般的な用語と同じような使われ方である。


次に「群青」の写真について。

群青は、ウルトラマリンの鮮やかで濃い青。深い青。

少年が思い出を回想するとき、その思い出は色褪せる部分もある。しかし写真の中では、思い出がそのまま保存されている。青い思い出がありありと、昔の状態のまま鮮やかに保存されている、ということで写真の色は「群青」なのだと思う。


蒼は、草が青く茂る様子をあらわす日本の伝統色。

"青写真"は、そもそも複写をするときに青くなる写真のことである。それを設計図として利用したことにより、「未来の計画、構想、設計図」という意味を持つようになった。

この青写真という言葉を題にするとき、敢えて青を「蒼」に置き換えたのは、少年時代の僕の心象風景としてうつる青色、として青よりも深みのある"蒼"が用いられたのではないだろうか。

また、蒼は歌詞に登場する「夏草」「露草」の色ともリンクする。

 


まとめ


蒼写真のこの歌詞に、今年は何度胸を打たれ 涙しそうになっただろう。

「蒼写真」は大人になった「僕」が無邪気な少年の頃の自分を回想しながら、自分自身が選んできた道のりを肯定する歌詞である。


「いつも満たされたわけじゃない」とあるように、過去の自分の全てが正解だとは この歌詞は言っていない。

だけど、

時計の針があの頃まで もう一度 戻ったとしても

きっと同じ道を選んで 悩み歩いてきただろう

とあるように、過去の自分の選択は正しかった、と肯定しているのである。


まるで横山さんが「自分の人生に花マルをつけられるように」と かつて言っていたように。


過去の無邪気な自分が、今の大人になった自分を見たときに顔向けできるような自分でいること。

そんなことを思い出させてくれるのが関ジャニ∞「蒼写真」だ。

*1:関ジャニ∞の「BOY」、谷崎潤一郎「少年」など

*2:露草f:id:confi818:20191018214009j:image