深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

アイドル「安田章大」の生き方と信念について

安田章大さん、36歳のお誕生日おめでとうございます。

こうして今年も安くんのお誕生日を祝えていることが、私にとって何よりも幸せなことだと思っています。

 

 

 


ここ最近の安くんは、自分自身のことを随分言葉にしてくれるようになったなぁと思う。

 


かつての安くんは、言葉にすることが決して上手くない代わりに、ギターを鳴らして曲をつくったり、キャンバスにカラフルな絵具で頭のなかのそのままを絵にしたりするような人だった。

 


作曲も、ギターも、絵も「うまく言葉にできない」安くんの表現の発露そのものだった。 

理不尽も悲しみも喜びも楽しみも、すべて音と絵に昇華しているようだった。

 

 

 

だけど、安くんはいつしか「言葉にする」ことを選ぶようになった。

それは、言葉にしないと伝わらないものがあることを理解していたから。

 


大倉くんが「うまく話せないときにあきらめないで最後まで言い切る。結果わからない」なんて安くんのことをブログで言及していたけれど、うまく伝えられないとしても、それでもなお 言葉にすることを大切にするようになったんだなぁ、と胸が熱くなった。

 

 

 


安くんが、言葉にするということを選ぶようになってから、関ジャニ∞全体のことには言及しても、自分自身のパーソナルな部分に触れることはごく僅かだった。


どちらかというと、いつも自分自身のことは二の次で「グループ全体として必要とされること」は何かを模索して、応えている姿をずっと見てきた。

 

 


そんな安くんが変化したのは、2018年に髄膜腫を患って、体調に変化が起こってからなのだと思う。

 


ーー自らの"苦しみ"を発信することによって、同じように苦しむ誰かを救いたい。

 

 


安田章大は、どこまで優しくて、強いひとなんだろう。


病気になったこと、苦しんだことを発信するということは、同時に自分自身の辛い経験と向き合うことでもある。

決して楽なことではないし、芸能人だからといって、パーソナルなことを発信することは当たり前に求められるようなものでもない。

 


"アイドル"というキラキラとした憧れの存在だからこそ、うまく隠していくことだってできたはずなのに、それでも安くんは「ひとりの人間」として、発信することを選んだんだね。

 


『LIFE IS』は、そんな安田章大というアイドルの、"いち人間"としてのひとつの集大成なんだろう。

 


安くんを好きになって、ひとつひとつ年を重ねるごとに、彼の生き方と信念について思いを馳せる。

 

 

憧れや願望だけでは、アイドルとして偶像を生きるのは無理だと思う。だからどこかで、ひとりの人間として、自分が何をやりたいのか、ってことを選択していかなきゃいけない。でもその偶像に、みんなそれぞれいろんな思いがあるから、それを裏切りたくはない。

 


安くんが病を患う前に、インタビューで答えたこの言葉が忘れられない。

 

私は、安田章大という人間のほんとうの部分を、何ひとつ知らない。

知らないはずなのに、アイドルはただの偶像じゃなくて、ひとりの人間だと安くんは語るから。

ひとりの人間として言葉を紡ぎ、ステージに立っているから。

安田章大というひとりの人間の生き様に、触れられているような心地になるのだ。

 

 

 


病を患ったこと、長年苦楽を共にしたメンバーが別の道を歩んでいったこと。


ここ数年、安くんを取り巻く環境は大きく変化していった。

そして、安くん自身が発信する言葉も、それに伴って変化してきた。

 


だけど「安田章大」というひとりの人間の、アイドルとしての信念は揺らぐことはなく貫かれている。

 


だから、私は、昨日も今日も明日も、安くんのことをずっと好きなんだろう。

 


あらためて、安田章大さん36歳のお誕生日おめでとうございます。

安くんにとって、愛と幸せと笑顔に溢れる一年になりますように。

 

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