深海魚

花びらに埋もれてこのまま 死んでもいいと思った

スポットライトの下の君を愛するということ - #安田章大誕生祭2021

 


安田章大さん、37歳のお誕生日おめでとうございます。

貴方が年齢を重ねるたびに、当たり前じゃない現状の奇跡を感じます。

 

 

 

先日観劇しにいった、舞台「リボルバー〜誰が【ゴッホ】を撃ち抜いたんだ?」で浴びた、安くんの表情のひとつひとつ、感情の振れ幅が、いまでもふとした日常生活のなかで思い起こされる。

安くんがフィンセントを生きた証を、そっと心の奥にしまいこみながら、わたしはいつもと変わらない日々を送ってゆくのだろう。

 


安くんが舞台に立つということ、スポットライトを浴びる仕事をするということに、ファンなら誰しも何処かで「心配」の気持ちを抱えるようになったのは、あの開頭手術と後遺症が明かされたときから。

 


アイドルとして生きる安くんが大好きだ。

コンサートでギターをかき鳴らす姿、天を仰いで歌い上げるところ。

舞台に立って、役柄の人生を生き抜くところ。

バラエティで、メンバーと笑い合う様子。

そのどれもが、大好きで仕方ないワンシーンだ。

けれど、彼を表舞台に輝かせるスポットライトは、ときに彼を苦しめる。

 


「愛を心配でスルーしないで」と、安くんは言ってたね。

この言葉の通り、大きすぎる心配の感情は、目の前に生きている安くんの愛すらも覆い尽くすこともある。だから、過剰に不安視はしないようにしている。

だけど、どうしても負の感情のほうが強く出てしまうことも、時にはある。

 


以前読んだ論文には、心配(worry)は制御不能の感情だ、とも書かれていた。

したがって、最近のわたしは、彼を心配しまうことを無理に打ち消そうとはせず、そんな自分を受けいれることにした。過剰に心配はしたくないけれど、ふと心配に思ってしまうのは、愛が故の防御反応だから。

言葉にすると、余計に不安が現実味を帯びてしまうから、口には出さないけれど。こころの自然な反応は、打ち消さないように。そんなふうに、安くんへの向き合う折り合いのつけかたにも、やっと慣れてきたのかもしれない。

 


安くんの人生を変えるほどの大手術のことを、もしあのタイミングで安くんが倒れて骨折をしなければ、ずっと知ることはなかったのかもしれないと思うと、胸が苦しくなる。

公表してくれたのも、似た境遇の「誰かを救うため」なのが、何処までも安くんらしい。

そんな優しい安くんの生き方に、何度わたしは救われただろう。自分の価値観を、見直させられただろう。

安くんを応援できて、彼の生き方に深く"共感"できることを、幸せに思う。

 


すべてのものは、永遠じゃない。

だからこそ、スポットライトの下に立つ安くんを応援できること自体を、奇跡のようだと思えるこの感覚を、どこかでずっと忘れないようにしていたい。

 

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