リタッチされていない、ありのままの肌の質感。
泣き出しそうな瞳が見つめる鈍色の空。
彼の背負っているものの大きさを感じられる、少し丸まった背中。
そのどれもが、どうしようもなく愛おしくて手放したくないほどに大切なものであることに気づかされる。
安田章大 写真集「LIFE IS」を読んだ。
人は死ぬと、何処へ向かうのだろう。
土に還る?空の星となる?ふたたび新しい魂となる?それとも、無になる?
それは、生きている我々にとって、分かるはずもない疑問である。
でも、人間というものは欲深く、その永遠の疑問の答えを知りたがる。
人は死の淵に立つと、見えるものがあるのだという。
分からないもの・知ることのできないものというのは、得体の知れない恐怖感があるから、ふつうの人は無意識に"死"から目を逸らして生きていくものだ。
だけど、病気により"死"に向き合わざるを得ない体験をした安くんだからこそ「生と死の輪廻」というテーマで、写真集を出したのだろう。
「死」という言葉が与える印象は、あまりにも重く暗い。
果たしてこれが、人びとに夢を与えるアイドルが、発信するテーマとして適切なのか?
このセンシティブな問題に触れることがアイドルとして"正しい"のか?
ーその正解を、私は持ち得ない。
だけど、ひとつだけ確信して言えることがある。
「死」があると理解するということは、「生」を見つめ直すということ。
だから、決してマイナスな意味ではなく、生きることを訴えるために、この本は存在するのだ。
写真集のページをめくるたびに、安田章大というひとりの人間の生命の質感に触れる。
広大な大地、厳しい自然。
極寒の雪の中にも、木々は静かに生きていて、そのなかに、ぽつんと佇む安くんの姿。
自然の中にある いのちも巡る。
動物の白骨と、かつて様々な神話で神格化された白馬。
寝転がる安くんを取り囲む炎は、どこか儀式的。
背景は「メメント・モリ」的でありながら、確かに安田章大は、この写真集に生きている。
むしろ、背景が死を連想させればさせるほど、安田章大という生命が強調されると言うべきであろうか。
聞こえないはずの息遣い、空気の冷たさが写真から伝わってくる。
安くんは、自らをアイドルではなく「IDOL」とあらわす。
これは、「idol」という単語が本来意味する"偶像"ではなく、固有名詞の、あくまでオリジナルな存在として「IDOL」でありたいのだろう。
"僕の本音"
きっと発売するにあたり、本を発行する直前に綴られたであろうメッセージ。
9月2日に原稿をあげられて、そこから校了して、9月24日に写真集を販売すると考えると、なかなかタイトなスケジュールであったに違いない。
だけど、安田章大という人間が"いま"何を伝えたいのか、を 重要視していただいたのではないだろうか。その結果がこの最後の2ページに渡る「あとがき」なのだろう。
この本を閉じる直前、差し込まれた小さな冊子に気がつく。
「2017.02.09」
そう題された、青色の冊子を開くと、あまりにもありのままの、彼の入院時の様子が窺える。
私にとって、何気ないただの一日だった日が、愛してやまないアイドルが大手術を挑んだ日であったこと。
それから後遺症もあったというのに、ハードな舞台をこなしていた彼が抱えていたものを何一つ知らなかったこと。
ここ3年を振り返って、涙が止まらなくなってしまった。
今日もアイドルとして、私たちの前に立っていてくれて、言葉を発信してくれて、歌ってくれて、ありがとう。
生きていてくれて、ありがとう。
心からありがとう。
私に残ったのは、感謝の思いしかなかった。
今日も明日も、安くんを応援できるということは、当たり前のことだと思っていた。疑いもしない日常だった。
でも、それは当たり前のことなんかじゃなくて、安くんがアイドルとしてステージに立つことを選んでくれたから、今日も私は安くんを応援することができているのだ。
安くんが病気をさらけ出すこと、大きなピアスを開けること、髪を染めること、髪を切って傷痕を見せてくれること、その全てが安くんからのメッセージだ。
私はその意味を、全部知りたいだなんて思っていなかった。
理由なんて、一生知らなくてもいいと思っていた。
安くんにさえ意図があるのなら、万人が理解するために説明なんてする必要はないと思っていた。
でも、彼は万人に理解されなくても、たったひとりでもいいから救われるのなら、と発信をしてくれる。
人生とは?生きるとは?
安田章大というアイドルの生命の表現、それが「LIFE IS」なのだ。